人間は自ら望んで「AIの家畜」になるのか 尊厳と制度で考える「近代」と「ポストモダン」

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斎藤:僕自身は、人間の理性や感情は、他者や環境との相互作用からかたちづくられるという見方をしています。哲学で言えば、ヘーゲルがそういう考え方をしていますよね。

それだけに理性も感情も、他者からの影響を受けやすい。ポピュリズムについて言えば、ジョナサン・ハイトという社会心理学者の『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』という本があって、そこではアメリカを例にして、保守や右派のほうがリベラルよりも、人間が持っている道徳感情のツボをうまく押しているということを言っているんですね。つまり、ここでも理性と感情という問題が出てきて、理性的に説得するよりも、感情豊かに訴えたほうが人々の支持を得てしまうわけです。

斎藤哲也(さいとう てつや)/ライター・編集者。1971年生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。ベストセラーとなった『哲学用語図鑑』など人文思想系から経済・ビジネスまで、幅広い分野の書籍の編集・構成を手がける。TBSラジオ「文化系トークラジオLIFE」サブパーソナリティも務めている(写真:斎藤哲也)

実際、トランプやルペンの台頭からもわかるように、世界的に感情のツボを押すようなタイプの政治家が人気を博して、右派のポピュリズムが勢力を強めています。

ハイトに言わせると、それに対抗するには、左派やリベラルも、理性的な話ばかりをするのではなくて、感情や直感に訴えよと言います。そして現実にもそうなっている気がするんですね。ネットやSNSでは、みんなで感情のツボを押し合いっこして、それぞれの正義を振りかざしている景色が至る所に見られます。でもそういう状況だからこそ、「理性を発揮できるような制度をどう設計するか」を考えることが大事なのではないでしょうか。

感情を押す方向ばかりではなく、人間の持っている、それこそカント的な善意志や実践理性を引き出すような制度、あるいは感情の暴走をクールダウンさせるような制度はまだまだ工夫する余地があるはずです。例えばドイツでは、ナチスの反省から国民投票は禁止されています。近代は、悲劇もたくさん生み出してきたけれど、他方で、人間の自由や尊厳を尊重するような制度を頑張って作って改良してきた側面もあるわけです。

動物化する制度設計

古川:まったく賛成ですが、そういう観点から考えると現代の制度設計は、むしろ斎藤さんがおっしゃったのとは逆の方向、つまり人間がいちいち理性でものを考えたり、自律的に自分の行動をコントロールしたりしなくてもいいような方向に進んでいますよね。ものすごくわかりやすい例で言えば、コンビニのレジの前に足のマークを描いておけば、お客さんは自動的にそこに並ぶようになる、という具合に。

これはこれで、確かに秩序をつくるためには非常に有効な方法ですけれども、一種の人間の機械化、あるいは家畜化だとも言えます。人間が自分たちで自分たちを支配するというよりも、むしろ制度が人間を支配して、人間は制度の奴隷になる。考えなくても自動的にそう動くように、制度が人間を仕向けるわけですからね。

その行き着くところが、いわゆるAI社会だと思うんです。制度設計までもを、AIがやってくれる。だから人間はもういちいち自分の頭で考える必要もなくなって、AIがつくる制度のもとで、家畜の群れのように気ままにやりたいことをやって生きられる。そんな社会を目指しているように私には見えます。そうなると、ますます「もう哲学なんかいらない」ということにもなると思うんですが、その点、斎藤さんはどんなふうにお考えですか。

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