福岡の看護師が「8度の国際支援」で達した境地 紛争・災害・難民…過酷な現場に向かう理由
井ノ口さんはその後もケニア洪水救援、アフガニスタン病院支援、パキスタン洪水災害支援、ミャンマー紛争犠牲者救援、バングラデシュ南部避難民救援、南スーダン紛争犠牲者救援など7つのプロジェクトに派遣され、2~9カ月にわたって現地で活動してきた。
自らが看護師や助産師として患者に接することもあれば、現地の医療スタッフの教育に徹することもある。
「もともと医療の水準が低くて、現地の看護師が患者さんの様子を観察せず、医師に指示された点滴や注射すらしていなかったことも。私たちが入ることで現地スタッフが成長して、患者さんに質のいい医療を提供できるようになるとやりがいを感じます」。
女性の地位が非常に低く、女性の意見はまったく聞いてもらえないことや、宗教や文化的な理由で医療行為に反対されることもある。「帝王切開をしないと死にますと何度説得しても、家族から断固拒否される。家に帰られた後、多分亡くなられているだろうなというケースもたくさん。無理強いはできないですから……」。
ただ、現地では「彼らにとって死はすごく身近なのだと感じた」と井ノ口さん。「もちろん親族は泣いたりしますが、亡くなった方の横で普通にご飯を食べる様子に驚きました。死を生活の一部として自然に受け入れているのでしょう」。
一人ひとりの能力を引き出せば最大限の力を発揮できる
最近は管理する立場として、看護師の教育や病院のマネジメントに従事する。初めのうちは効率のよいチーム運営を重視していたが、考えが変わったという。
「私のやり方を伝えるのではなく、スタッフ一人ひとりの能力を引き出せば、チームとして最大限の力を発揮できると気づきました。
ただし、日本では皆がプロフェッショナルなので自由にしてもらうことで結果が出せたけれど、国際救援の現場には現地スタッフをはじめバックグラウンドの違う多様な人たちが集まる。
彼らが能力を出し切って働ける環境をいかに作るか、それが私の課題です」
派遣から帰国すると、短期間休んで病院勤務に戻る。「極度にストレスがかかりハイテンションで帰ってくるのですが、復帰したら思うように動けず、はやく適応しようと頑張りすぎていっぱいいっぱいになったこともあります」。加えて、日本の医療現場における目まぐるしい変化にも対応しなければならない。
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