福岡の看護師が「8度の国際支援」で達した境地 紛争・災害・難民…過酷な現場に向かう理由
国際活動参加に向けた研修は英語で行われるため、一定の英語レベルを超えなければ受けられない。「私はリスニングが驚くほど苦手で、思うように成績が伸びず……。最終的には日赤の集中英語コースを受講し、必要な研修を受けられることになりました」と話す。
国際活動の救援員になると、国内の病院で働きながら、ネットワーク内の求人に応募したり要請に応じたりする形で、海外に派遣される。井ノ口さんが初めて海外に派遣されたのは2005年12月、入職から10年目だった。
「スーダン紛争犠牲者救援」で約半年間、ICRCが運営する病院の看護師として、スーダンの負傷者を看護した。スタッフ約50人のうち、日本人は井ノ口さんだけ。
「銃や地雷、ナイフで何度も切りつけられた方など、武器によるケガ人を見たのは生まれて初めて。子どもから高齢者まで手足を失う方も多く、ひとまず傷を治して帰すことが私たちの目標でした。医療資機材や医薬品が少なく、提供できる治療も限られた中で、それでも人ってこんなによくなっていくんだなあと、自分で自分の体を治す力のすごさを感じました」
一方で「日本の医療は介入がかなり多いのに、それでもなかなかよくならないという事実に気づかされた」とも。では、日本人にも同じような回復力があるのだろうか。「いえ、そうは思いません。アフリカでは5歳以下の死亡率がかなり高く、そこで生き残った人たちは生命力が強いんです」。
国際救援を続けたい人・自分に向いていないと思う人
現地ではもどかしいことも多かった。「ケガをした患者さんの足を切断したものの、結核やエイズなどの免疫不全があって治らず、足を短く切っても切っても感染が続き、最後は根元まで……それでもよくならないケースもありました。戦傷外科では免疫疾患を治療する術がなく、日本なら助かるのに助けられないことがつらかった」と振り返る。
国際救援で一度現地に行った人は、2つに分かれるといわれる。続けたいと思う人と、自分には向いてないと思う人と。井ノ口さんは前者だった。
「初めての戦傷外科で、英語のリスニングにも苦労したけれど、ダメダメな私でもオープンマインドで受け入れてくれた患者さんたちにずいぶん救われました。私も彼らに何か返していけるようになりたいという強い思いが、次へとつながりました」
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