乙武洋匡が見たルワンダ「虐殺から24年後」の今 コミュニティで共存する加害者と被害者
こうした努力が少しずつ実を結び、現地では加害者と被害者が協働しながら生産活動に取り組む動きも出てきた。タンザニアとの国境に近いルワンダ東部のキレヘでは、佐々木氏が日本の市民団体の支援やREACHの協力を得ながら結成した手工芸組合や養豚組合があり、そこにはフツ族の人もツチ族の人も参加し、共に作業している。
「はじめからうまくいったわけではありませんよ」
そう語るのは、キレへで長年にわたって和解プロジェクトに尽力してきたオーガスティン牧師だ。カリサ氏、佐々木氏がともに絶大な信頼を寄せる温厚な牧師は、プロジェクト発足時の苦労を懐かしそうに振り返った。
「はじめは教会に集まってもらったんです。もちろん、そこには加害者と被害者それぞれが来ることは知らせずに。当初、人々は決して交わろうとしませんでした。教会の座席は3列に分かれているのですが、フツの人々は右の列に、ツチの人々は左の列に座って、真ん中の列には誰も座ろうとしませんでした」
だが、それでもオーガスティン牧師は諦めず、双方の人々に声をかけ続けた。人々は牧師の誘いに応じて教会には足を運ぶものの、それでも互いに警戒し、座る場所は離れたまま。あいさつを交わすこともなかった。
「そんな様子に変化が表れはじめたのは、4回目くらいからでした。簡単なあいさつを交わす人が現れたり、誰も座ろうとしなかった真ん中の列に座ったりする人々が出てきたのです」
武器を取らなかった女性たち
オーガスティン牧師が目をつけたのは、女性同士の交流だった。加害者側である男性は、まだ刑務所に収容されたまま。しかし、女性のなかで残虐な行為に手を染めた者は少ない。被害者側から見ても、憎しみの度合いは薄まる。また、ジェノサイド後に夫が収監され、孤独な生活を強いられているという被害者的な側面がないとも言えない。
「男性たちが刑務所から出てくる前に、なんとか女性同士の関係性を構築しておくことが重要だと考えました。そこで、彼女たちがより交流を持てる場を作ろうと、アートクラフトで作品を作ったり、さらにはそれを販売したりするような活動を始めたのです」
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