アメリカの「バブル崩壊後」に起きる「大転換」 トランプが置かれた状況は「1930年代」に似る

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1933年からのフランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策は、1920年代に3代続いた共和党政権のユーフォリアの崩壊を受けてのものだった。そのユーフォリアの源泉をたどれば、それこそがアメリカでは最初の中央銀行バブルだった。

1914年に稼働したFEDは、この年に起きることになる第1次世界大戦の資金繰りを助ける立場だった。この時のFEDは中央銀行としての矜持があり、直接国債は買わず、戦争国債は民間が買い、FEDはその民間への融資を担当した。

しかし第1次世界大戦が終わると、戦争での役割を終えたFEDでは、業務に国債の購入が加わった(1921年) 。この頃のFEDは、ウォール街の民間金融機関が株主だったNY連銀が中心だった。ワシントンのFRB議長の存在は全くの「お飾り」であり、ウォール街の意のままのNY連銀が国債のオペレーションを通して流動性を増やした。そこに共和党的な銀行証券の混同が重なった結果、大都会を中心に一大バブル景気が起こった。

そしてバブルの頂点の1929年に大統領に就任したハーバート・フーバー大統領は、10月の大暴落の後、国難で民主党に協力を求めた。ところが当時の民主党は共和党政権に全く協力せず、銀行は次々に閉鎖に追い込まれた。大恐慌とはこの後の1931年と1932年の状態を指す。ちなみにこの時のFEDの対応を反面教師に異次元の緩和を断行し、リーマンショックで英雄になったのがバーナンキ元FRB議長である。

ルーズベルト政権下で行われた「シー・チェンジ」

1932年の大統領選でフーバー大統領に勝ったルーズベルトが最初に行ったのが、銀行の強制封鎖である(バンクホリデイ実施)。共和党のように市場原理に任せて銀行をだらだらと閉鎖に追い込むのではなく、強権を発動していったんすべてをシャットダウン、そこから行政が主導して金融を復活させた(順序だてて健全で有力な銀行から再開させた)。この時に民主党政権下のアメリカでは、グラススティーガル法などの数々の金融関連法が整備され、連邦預金保険公社(FDIC)も誕生した。最も重要なFEDの改革では、ワシントンのFRB理事がFOMCに加わるようになり、その結果、FRBがNY連銀をチェックするようになった。 

これこそが当時のシー・チェンジだったわけだが、この時の政治模様を今に当てはめるなら、トランプ政権下でこれから起きるであろう「ユーフォリア後の後始末」に、今の民主党系の金融エリートは協力をしないということだ。それは前回も紹介したが、イエレン前FRB議長の態度の変化や、反トランプを続けるクルーグマン氏を観れば明らかである。そして、さらにその方向性に拍車をかけるような事態になったのが世界銀行総裁の辞任だ。

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