――いい話ですね。
そういう話を聞くと、ちょっと悔しいじゃないですか。このままだと収まりが悪いので、もし樂茶碗が無理だったとしても、200年前、100年前の、なかなか借りるのが難しい、迫力のあるお茶碗をちゃんと持ち込んで、現場を喜ばせたいと思ったのです。それでもう1回また、お茶碗を探しに行ったんです。もちろん撮影の合間にですが。
そんなときに、樂吉左衛門さんの夫人から呼ばれたのです。「森田さん、これから主人が窯から帰ってきますので、この前、私におっしゃったこと、今から言おうとしていることも含めて、本人にぶつけてください」と言われたのです。それから樂さんがいらっしゃったので、樂夫人のおっしゃったように思いをぶつけたのです。企画への想い、それから役者がお点前の勉強をしてから役に臨んでいるということ。現場のスタッフは超一流の方ばかりですし、そこに本物のお茶碗を現場に届けたいのです、と。
さらに付け加えて手紙にも書きました。「お茶の世界では『美術館に飾られているお茶碗ほど不幸なものはない』と言われるそうですが、それならば使っているときの本来の姿でスクリーンに届けたいのです」というようなことを書いたのです。そしたら樂さんが「20年前もあなたのように本物のお茶碗を貸してくださいという話がありましたが、私がすべて断ってきました。でもちょっと時間をください」とおっしゃってくださいました。
ようやく一歩前進
――一歩前進ということですね。
利休が使ったお茶碗はさすがに難しいかもしれないけれど、その同じ時代のもので、恥ずかしくないものなら貸せるかもしれないという話で、その日は終わりました。でも翌日、樂さんのところにごあいさつに行きましたら、貸すのが難しいと言われてきた、利休が使っていたいちばんいいお茶碗が用意されていたのです。「いい映画にしてくださいね」という一言と共に。
――粋な計らいですね。
「ただ、私たちもお湯は通したこともないものですし、正直、不安はあります。だからお点前は1回だけです」と言われました。でも、それだけでも十分だと思って、「やったー!」と現場に持ち帰ったわけです。僕は、やはり利休の最後のお点前のシーンでそのお茶碗を使ってほしかったのです。
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