31歳、ゼロからやり直す「巨人ドラ1」の進む道 大阪桐蔭のエース・辻内崇伸と女子プロ野球
今シーズン前半戦はチームの投打がかみあわず、負けが先行した。そんなとき支えになったのがアストライアの初代監督で、退任後もチームを見続けてくれていた片平晋作さん(南海ホークス〜西武ライオンズ〜横浜大洋ホエールズ)のある言葉だった。片平さんは2018年1月にこの世を去った。
「自分がコーチで入ったときから、チームをどうまとめるかとか、いろいろなアドバイスをいただいていたんです。その中でもよく言われていたのが『常に笑っておけ』ということ。コーチのときからうまくいかないと、無意識のうちに怖い表情になっていたみたいで、『そんな怖い顔をするなよ』と言われていました。
そういうのは選手に伝わってしまうので、チームの雰囲気も悪くなる。片平さんがお亡くなりになり、すごく寂しかったのですが、片平さんの言葉を忘れずに戦っていました。最後の1年間だけでしたが、自分としては監督をやらせてもらえて、いい経験ができました」
女子プロ野球で感じた新しい発見
NPBの球団とは違って、女子プロ野球では野球の指導だけが仕事ではないため、社会人として学ぶところも少なくなかった。名刺の交換の仕方から始まったが、簡単なパソコン作業なら問題なくこなせるようにもなった。
「基本的には朝の7時半からグラウンドの掃除をして、8時から13時まで練習。一度、家に帰ってシャワーを浴びて昼食を済ませてから事務所に出勤。デスクワークや女子プロ野球のPR活動だけでなく、女子の野球部がある高校や大学などを回って、うまい子がいれば女子プロ野球への勧誘も行いました。
高校を卒業すると大学に女子野球部がなかったりしてやめてしまう子が多いんです。そうならないように、若い選手をどんどん増やしていこうという方針で動いていました。最初は戸惑うこともありましたけど、何事も慣れていけばできるようになるものですね」
家に帰るのは19時くらいだが、遠征に行けば2、3日家をあけることもあった。そんなとき驚かされたのが愛娘の成長の早さだった。
「コーチになった2014年の3月に生まれたので、本当に遠征から帰ってきたら大きくなっていたり、髪の毛が伸びていたり、しゃべれるようになっていたり。子どもってこんなにもすぐ成長するんだなって」