京都とパリの「女」をめぐる意外すぎる共通点 なぜ京都の遊郭と「桂離宮」は似ているのか?
井上:メゾン・クローズのしつらえについて、ちょっとお尋ねします。歴史学者の林屋辰三郎先生が、初めて島原(下京区にある江戸以来の花街)の遊郭だった角屋を訪れたときに、桂離宮(※11)によく似てると思われたんですよ。そこから林屋さんは発想を広げて、寛永時代(1624年~1644年)には、桂離宮に代表される朝廷文化と、角屋に代表されるブルジョワ市民文化は共有項を持っていたと。朝廷とブルジョワが同じ文化圏にあったというふうに発想を広げはったんですよ。
私は林屋先生に私淑しているし、申し訳ないけれども、言わなきゃならない。多分メゾン・クローズでも、建物の造り自体はどこかバロック(※12)風であったりロココ(※13)風であったり、つまり宮廷風になってるんじゃないかと思うんです。
鹿島:なってますね。
井上:だから、娼婦の館が宮廷風になるのは、ごく当たり前の現象ではないかと。
鹿島:必然ですね、それは。特にメゾン・クローズで人気があったインテリアは、1つはルイ15世風。ルイ15世のために作られたという娼館「鹿の園」風とか、デュ・バリー夫人が公式愛妾だった頃のスタイル。
もう1つは「レジャンス(摂政時代)」と呼ばれたフィリップ・ドルレアンの時代、つまりルイ14世が亡くなった1715年から、1723年まで約8年間続いた摂政時代のスタイル。この時代は、フィリップ・ドルレアンがノン・モラルで淫蕩な人だったので、時代そのものが変態的になった。彼は、全員全裸のパーティーを催したり、新しくできた愛人に演劇を装ったストリップをやらせたりと、変態の限りを尽くした。というわけで、ルイ15世風とレジャン風というのが、フランス的宮廷エロティック・ファンタジーの二大源泉。
源氏名がホステスの芸名になったことの意味
井上:わが民族のファンタジーは、多分『源氏物語』にあったと思うんです。男は、藤壺とか紫の上に見立てた店のお姉さんたちから、「どちらがお好みですか?」「あなたも光の君ですよ」みたいなもてなしを受けてきた。それが根っこにあって、源氏名というのがホステスの芸名になっていった。
鹿島:なるほどね。あと、福富太郎さん(数々のキャバレーを日本に作った実業家)から聞いた話ですが、「グランドキャバレーの法則」というのがあって、今のAKB48に非常に似ているんです。つまり、美人ばかりそろえちゃいけないんですって。「なんでこんな子が?」という子も入れてバラエティー豊かにしないと、客の多様な好みに応えられない。多様性がグランドキャバレーの鉄則だと。
それは、メゾン・クローズにおける「ばらけの法則」と同じ。同系統ばかり集めちゃダメで、金髪碧眼美人もいれば、黒髪のユダヤ美人もいる。オリエンタリズム風ということで東洋娘もそろえる。とにかくバラエティー豊かにしてたくさん集めないと、メゾン・クローズの経営って成り立たないんです。
井上:そこにはちょっと疑いを差し挟みます。ほんまは、全員を美人でそろえるのが難しいという、技術的な問題もあったのではと。
鹿島:いや……う~ん、それもあるかも。
井上:負け惜しみで、「いや、美人だけじゃいけないんだ」という理屈をひねり出しただけなのでは。
京都市西京区桂御園にある、もと桂宮(八条宮)家の別荘。
※12 バロック
16世紀末から、ヨーロッパで盛んになった建築や芸術の様式。特徴は、曲線や楕円を使った、豪華で華麗な装飾。代表的な建築物は、ヴェルサイユ宮殿。
※13 ロココ
18世紀、フランスの宮廷を中心に流行した、バロックに続く時代の建築・芸術様式。特徴は、繊細で優美、軽やかな装飾。ヴェルサイユ宮殿の庭園にある離宮、プティ・トリアノン(小トリアノン宮殿)の内装は、ロココ様式の最高峰ともいわれる。
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