やたらと目撃談が出る俳優・佐藤二朗の胸中 「レンタルビデオ店の店員が佐藤二朗」?
やたらに「○○に似ている」と言われる
中学生の頃だったか。新しく赴任した先生が、教室に入ってきて僕の顔を見るなり、「お~! 三越! 三越じゃないか! お前もこの学校に転校してきたのか! 三越!」と嬉しそうに叫んだことがある。無論、僕は転校してないし、それ以前に、僕は三越ではない。断じて三越ではない。多少は三越なのかな俺。いやいや。多少はってなんだ。誰なんだ三越。
程なくして僕が三越に似てはいるが、決して三越本人ではないと気づいた(当たり前だ)先生は気まずそうに授業を始めた。こうして、その先生以外、つまり教室にいる生徒全員、誰も三越の正体が分からぬまま、ただ、「どうやら二朗くんに似ているらしい」三越くんに全員が想いを馳せ、世にいう「三越事件」は事なきを得た。いや事なきを得てはいない。めっちゃ恥ずかしかったから僕。だって生徒みんな、肩、揺れてたから。
実はこの三越くんの件に限らず、僕は昔も今も、やたらに「○○に似ている」と言われる。エゴサ(エゴサーチね。自分の名前をネットで検索することね。僕は自分の出演作品の情報解禁を知るためにしてるね)をすると、毎日のように全国至る各地に佐藤二朗が出現してるのが分かる。もちろん僕が毎日全国各地を飛び回ることはできないので、「僕に似た人」だ。
「うちの高校で日本史教えてるよ佐藤二朗」。いや教えてないよ。日本史教えたことないよ僕。「レンタルビデオ店の店員が佐藤二朗」。僕、バイトはたくさんしたけど、レンタルビデオ店で働いたことないよ。「行司が佐藤二朗」。僕、はたき込みと突き落としの区別がつかないよ。「私の会社のイヤな上司が佐藤二朗」。知らんがな。「電車の前に座った女子高生が佐藤二朗」。できたら彼女には強く生きてと伝えてください。「うちの3歳の娘が佐藤二朗」。ごめんなさい。もう本当にごめんなさい。「顔がパンパンに腫れて佐藤二朗」。うん。腫れ、早く引くといいね。