沖縄タイムス記者が休職してまで学ぶ意味 社会部からデジタル、そして大学院へ
この春、所属する新聞社の沖縄タイムスを休職し、首都大学東京大学院でデジタルメディアについて学び始めたニュース記者の與那覇里子(よなは さとこ)さん。34歳での一大決心を後押ししたものは何か? その背景には、「紙とデジタルの間を埋める架け橋になりたい」との思いがありました。
記者としてのキャリアはちょうど10年。ジャーナリズムの前線で鍛えられてきた與那覇さんが、デジタルの現場で感じたこと、そしてこれからのメディアの可能性について話を伺いました。
*本記事は、2017年11月30日にnews HACK by Yahoo!ニュース(運営:ヤフー)に掲載された記事の転載です。
自ら志願し、社会部からデジタル局へ異動
――與那覇さんが東京での大学院生活を始めて、半年がたちました。まずは、なぜデジタルについてあらためて学ぶ必要を感じたのか、そのきっかけから教えてください。
2007年の入社以降、学芸部や社会部で記者をやってきましたが、次第にメディアの主流がデジタルに移行していくのを感じるようになりました。たとえば、2009年のオバマ大統領就任時には、情報ツールとしてソーシャルメディアが活発に使われていたのが印象的で、気がつけば私自身も、紙よりスマホで日々のニュースをチェックするようになっていました。もともとパソコンのこともインターネットのこともほとんど知らない人間だったので、これでは時代から取り残されてしまうのではないかと危機感を覚え、デジタル局への異動願いを出したんです。
Four more years. pic.twitter.com/bAJE6Vom
— Barack Obama (@BarackObama) 2012年11月7日
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