沖縄タイムス記者が休職してまで学ぶ意味 社会部からデジタル、そして大学院へ
そこで初めてインターネットで配信する記事を手掛けるようになるわけですが、デジタルで何かを表現するには、あまりにも知識に乏しい現実に気づかされて……。この先も記者としてやっていくにあたり、一度しっかり学習しておく必要があるだろうと痛感し、休職して大学院へ行く決意をしたんです。
――社会部からデジタル局に異動してみて感じたことは?
それまでの現場とはまったくの別世界だということですね。まず、使われる用語がまるで理解できず、最初の1~2カ月はとてもやっていける気がしませんでした。なにしろ当時は「アナリティクス」や「コーディング」はおろか、「HTML」すら知らない状態でしたから(苦笑)。
日頃の連絡手段として、電話をほとんど使わないのも驚きでした。主なやりとりはメッセンジャーやLINEで、メールすらあまり使う機会がなく、そもそもメールアドレスを知らない人が周囲に増えていくのはなんだか新鮮でしたね。外部の方と連絡を取り合う際に、FacebookやTwitter、スカイプなど、それぞれ相手に合わせてツールを選ぶようになったのは、紙の時代と大きく異なる点ですね。
ただ、記事を書くことの本質は、紙もウェブも変わりません。むしろ、文字数の制限がなく、写真がいくらでも使えるのは、ウェブならではの大きなメリットかな、と。おかげで扱うテーマの裾野も広がったように思います。
デジタルの現場のデメリット
――逆に、紙の現場をよく知る立場だからこそ感じる、デジタルの現場のデメリットはありますか?
デジタル局には分野ごとの専門の担当者が存在しないので、毎回、人脈も予備知識もゼロの状態から取材を始めなければならず、どうしても記事の制作に時間がかかってしまうことですね。その一方で、他紙との「抜いた」「抜かれた」といった競合がないことは、精神的にはプラスだったように思いますが。
――デジタルと紙では、記事の作り方はどのように異なるのでしょうか。
私は、紙とのネタの差別化を常に意識していました。具体的には、その現場の担当記者では思いつかなさそうな内容や切り口を探し、新聞紙面とネットニュースの中間を行くような記事作りを心がけました。時には既出の新聞記事をもとに、そのテーマをさらに一歩進めて取材に当たることもありました。こうして紙との差別化を考えながら動き続けたことで、長く読んでもらえる記事を書く訓練がされたのではないかと感じています。
ちなみに、アクセスログを解析してみると、沖縄タイムスのデジタル版の読者は、6割が東京の人なんです。紙の場合は当然ほぼ100%が沖縄県内の方でしたから「ローカルニュースは、必ずしもその地域の人だけが読むものではないんだな」と気づかされましたね。こうして地方が抱える問題を全国に届けられるのは、素晴らしいことだと思います。