店舗も増えて70店になった頃、経営者仲間の会合で知り合った「大阪プロレス」の創業者スペル・デルフィン氏からCMのスポンサーを依頼されます。
店の知名度を上げられるなら、と引き受けることにしました。当時大阪プロレスは市内に常設会場を持ち、えべっさん、くいしんぼう仮面といったコミカルなレスラーを抱えて、安定的な興業を続けていました。しかし常設会場フェスティバルゲートの倒産などから経営が厳しくなり、阪上氏はデルフィン氏から社長就任をお願いされます。
迷った結果、なにわ名物を潰してはいけないと飲食店を譲り、大阪プロレスの経営に専念することにしました。会場固定から巡業方式に切り替え、関西エリアを中心に地方興業にシフト。「地方でのスポンサーを見つけて月1~2回の巡業で黒字経営になりました」と業績も安定してきました。
そして地域貢献の一環としてレスラーたちと老人ホームを慰問した時、気付いたことがありました。朝食はパンが主流ですが、入居者たちはパンの耳が硬くて食べにくい、と言うのです。「お年寄りの楽しみは食べることと笑うこと。耳まで柔らかいパンはできないか」と考えました。前職の飲食店経営の経験からしても「柔らかくて甘いもの」は、老人だけでなく、すべての消費者に喜んでもらえるはずです。ヒット商品の予感がしました。
パンづくりはまったくの素人だった
しかし、同じ飲食業といってもパン製造は初めて。試行錯誤を重ね、最高級のカナダ産小麦粉、乳製品、砂糖にこだわり、従来のパン職人と異なるやり方で瞬時に焼き上げる製法を編み出しました。
思い立って2年。立たせるとギリギリ立つという状態で、なおかつ耳まで柔らかく食べられるパンが完成しました。ただ、値段が1本(2斤)税込み864円と一般の食パンより高く、上本町店オープン初日はわずか30本しか売れなかったそうです。それでもコツコツと営業した結果、口コミでその美味しさが伝わり、3カ月後には経営も軌道に乗り始めます。
ただ順調な時ばかりではありません。「いちばんの危機は2年前です」と阪上社長。「同じように作っていても、微妙に味が違うのです。材料、製法を徹底的に調べましたが、原因がつかめません。頭を抱えたまま、3カ月が過ぎました」解決策は意外なところからもたらされます。地方店の社員が、本店に研修に来ました。各支店で味がぶれないようにチェックするためです。ところがその社員が1つの材料に怪訝な顔をします。
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