日本のお家芸「材料科学」が揺らいでいる理由 「マテリアルズ・インフォマティクス」の衝撃

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しかしアルファ碁は、過去の棋士の棋譜を大量に読み込んで学習することで、ある局面でどの手を打つと勝率が高くなるか、判定する能力を身に付けた。さらに自己対局によって磨きをかけることにより、新しい手段を創出する段階にまで至ったのだ。

マテリアルズ・インフォマティクスはこれと同じように、過去に作り出された材料の各種データをコンピュータに「学習」させることで、新たな物質の性質を予測しようというものだ。これにより、たとえば今まで数年かかっていた新材料探索を、わずか数カ月で終えることができるようになっている。いわば研究者の勘と経験を、ビッグデータの高速解析によって置き換えてしまう技術だ。

正念場を迎える日本の材料科学

この手法が発展するきっかけになったのは、2011年にアメリカ・オバマ政権が打ち出した「マテリアルズ・ゲノム・イニシアティブ」という政策だ。2億5000万ドルを投じ、新材料の開発速度を2倍に上げるというこの計画は、見事、図に当たった。2012年10月には早くも、蓄電池に用いる固体電解質という材料の長寿命化に成功した。ずっと前から研究していた日本のチームに、わずか数カ月で追いついてみせたこの成果は、新手法の威力を知らしめるに十分であった。

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中国はこれを見て、多額の予算を投じてほぼ同じ計画を立案し、急速にアメリカを追い上げている。日本は2015年から同様のプロジェクトが動き始めているが、やや出遅れの感は否めない。しかし産業界もマテリアルズ・インフォマティクスの威力に目をつけ、先述のトヨタなども、蓄電池材料開発のためにこの技術を投入しようとしている。

人工知能、ビッグデータという言葉は、近年になって大きく取り上げられ、「人間の仕事が奪われる」などと騒がれているものの、やや話題先行ともとらえられている。しかし材料科学分野ではすでにその威力を存分に発揮しており、国際的研究競争の焦点ともなりつつある。日本が今後材料科学分野で存在感を保てるか、ここ数年が勝負となりそうだ。

佐藤 健太郎 サイエンスライター

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さとう けんたろう / Kentaro Sato

1970年生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了。医薬品メーカーの研究職、東京大学大学院理学系研究科広報担当特任助教等を経て、サイエンスライター。2010年、『医薬品クライシス』(新潮新書)で科学ジャーナリスト賞、2011年、化学コミュニケーション賞を受賞。著書に、『健康になれない健康商品 なぜニセ情報はなくならないのか』(春秋社)、『医薬品とノーベル賞 がん治療薬は受賞できるのか? 』(角川新書)、『炭素文明論』(新潮選書)、『「ゼロリスク社会」の罠』(光文社新書)、『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)ほか多数。国道マニアとしても知られ、『ふしぎな国道』(講談社現代新書)、『国道者』(新潮社)の著作もある。

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