政治家の「失言の歴史」にも時代が表れている

確信犯的なものから軽薄なだけの発言まで

池田氏のような確信犯的な失言は少なくない。特にタカ派議員による共産党批判や戦前の植民地支配や侵略行為などを正当化する発言では、これが目立つ。

私の経験で最も強烈なのは、衆院予算委員長の浜田幸一氏だ。1988年2月、衆院予算委員会の終了間際に、共産党議員の質問を遮り委員長席から突然、「私は堂々と真実を言っている。宮本顕治君は人を殺した」などと共産党批判を展開した(宮本氏は当時、日本共産党議長)。委員会室が大混乱に陥ったのは言うまでもないが、翌日から国会全体がストップしてしまった。

浜田氏は数日間、国会に来ると委員長室に終日、閉じこもってしまった。野党が求める謝罪も辞任も拒否し続けた。最後は自民党の安倍晋太郎幹事長の説得に応じて辞任したが、その間、数十人の記者らに取り囲まれながら国会内を歩く浜田氏の形相には、人を寄せ付けないすさまじい迫力があった。幹事長の安倍氏でさえ「浜田氏には困った。どうしようもない」と頭を抱えていたことを覚えている。

タカ派閣僚の問題発言、ハト派政権下で特に激化

自民党タカ派の代表的衆院議員だった奥野誠亮氏と藤尾正行氏も強面(こわもて)という意味では浜田氏に匹敵していた。

奥野氏は国土庁長官だった1988年5月、国会で「東京裁判は勝者が敗者に加えた懲罰だ」「あの当時、日本にはそういう(侵略の)意図はなかったと考えている」と発言して閣僚を辞任した。私も憲法問題を取材したとき奥野氏に「そういう考えを法匪(ほうひ)と言うんだ」と怒鳴られた経験がある。

藤尾氏も近寄りがたい空気を発散していた政治家だ。中曽根康弘内閣で文相を務めていた1986年、月刊誌のインタビューで、日韓併合について「韓国側にもいくらかの責任なり考えるべき点はあると思う」などと発言した。藤尾氏は首相官邸から辞表提出を求められたが拒み続けたため、中曽根首相は罷免に踏み切らざるをえなかった。

この3人のような場合、単なる失言というより思想的確信犯と言ったほうがいいだろう。

タカ派閣僚の問題発言は、1990年代半ばに村山富市政権などハト派政権が続くと頻度を増した。

羽田孜政権が発足した1994年5月、永野茂門法相が毎日新聞のインタビューで太平洋戦争を「侵略戦争という定義づけは、今でも間違っていると思う」「戦争目的そのものは当時としては基本的に許される正当なものだった」と発言した。さらに「南京事件というのは、あれ、でっち上げだと思う」とも語った。さすがに大問題となり、就任後、わずか11日で辞任した。

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