政治家の「失言の歴史」にも時代が表れている 確信犯的なものから軽薄なだけの発言まで
村山政権になると、まず1994年8月に桜井新・環境庁長官が記者会見で「日本も侵略戦争をしようと思って戦ったのではなかった」「あんまりなんか日本だけが圧倒的に悪いことをしたというような考え方で取り組むべきではない」と語り、やはり辞任した。
1995年の8月には島村宜伸文相が就任直後の記者会見で「(先の戦争が)侵略戦争じゃないかというのは、考え方の問題ですから、侵略のやり合いが戦争じゃないですか。(中略)これをいつまでもほじくってやっていることが果たして賢明なやり方なのかなと」と発言した。島村氏の場合、「就任時の説明は誤解を生じたのでこれを撤回する」という談話を公表し、辞任は免れた。
同じ1995年の11月には江藤隆美総務庁長官が記者とのオフレコの懇談で、「植民地時代に日本は韓国にいいこともした」と発言した。これを韓国メディアが報じたことで、一気に外交問題に発展した。オフレコだったこともあり江藤氏は当初、発言を認めず辞任も拒否していたが、結局は辞めざるをえなかった。
問題になることを覚悟のうえで発言している奥野氏や藤尾氏に比べると、桜井氏や江藤氏は後先をあまり考えず言いたいことをつい言ってしまい、それが外交問題化して慌てて撤回したり、閣僚を辞任したという印象が否めない。
2000年代には政治家の失言も一気に軽薄に
そして2000年代になると失言が一気に軽くなっていく。
森喜朗首相は、話し上手という特技が災いとなった。首相に就任して間もない2000年5月に神道政治連盟国会議員懇談会で「日本の国はまさに天皇を中心とする神の国である」と語り、6月には総選挙の遊説先で有権者の投票態度について、「まだ投票先を決めていない人が40%ぐらいいる。そのまま選挙に関心がないといって寝てしまってくれれば、いいんですけれども、そうはいかない」と述べた。
いずれも聴衆へのリップサービスだったのだろうが、受け狙いでは済まない民主主義の根幹に触れる内容で、マスコミに厳しく批判された。
なぜか東日本大震災の復興を担当する閣僚の失言が続いた。
2011年7月3日に松本龍担当相が宮城県庁で知事と会ったとき、応接室で数分間、待たされたことに腹を立て「お客さんが来るときは、自分が入ってからお客さんを呼べ」と激怒。さらに記者団の前で、「九州の人間だから、何市がどこの県とかわからん」とか「知恵を出したところは助けるけど、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持て」などと問題発言を連発し、あっさりと辞任した。
2017年4月には今村雅弘復興相が東日本大震災について「これはまだ東北で、あっちのほうだったからよかった。もっと首都圏に近かったりすると、莫大な甚大な被害があったと思う」と講演で発言し、やはり辞任した。
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