"ドジョウ宰相"、野田佳彦前首相の「恨み節」 6年前の「近いうち解散」とは何だったのか
野田氏は、当時5%だった消費税率を2014年に8%に、2015年に10%に上げることで、増加し続ける社会保障費の財源確保と財政健全化を目指し、2012年8月8日に自公両党との「3党合意」にこぎ着けた。その際の交渉相手だった谷垣氏について、野田氏は「ケミストリー(相性)が合い、『次の選挙より次の世代を』という共通認識を持てた」と谷垣氏の対応を評価した。
今年10月30日の臨時国会の代表質問で、増税を2度延期した首相に対し、野田氏が「(首相が増税延期を)選挙の争点にされたのは、『3党合意』の精神を踏みにじるものだ」と追及したのも、当時の谷垣氏と安倍首相との「政治哲学の差異」を浮き彫りにしたかったからだ。安倍首相は「政争の具にはしないが、選挙の争点にはした」と開き直ったが、野田氏は「まさに(政治家としての)感覚の違いだ」と批判した。
2段階で消費税率を10%に引き上げるという3党合意が成立した2012年8月8日、野田氏は谷垣氏らに「近いうちに国民に信を問う」と約束した。通常国会は9月上旬まで会期が延長されていたこともあり、野田氏は「解散は本当に『近いうちに』と考えていた。(2012年9月の)自民党総裁選の前というチャンスもあった」と当時の心境を明かした。
「谷垣首相」誕生の芽もあった
その理由は「谷垣氏が自民党総裁のうちに解散すれば、3党合意についての共同責任があるので、衆院選でどっちが勝っても合意はちゃんとやっていくステップが見える」という期待だった、という。
当時を振り返ると、谷垣氏の対応をめぐって自民党内にも批判があり、9月の総裁選に向けた“谷垣降ろし”の動きも浮上しつつあった。もし、野田氏が8月中に解散しておけば、衆院選が自民総裁選に先行し、自民党が勝てば「総裁続投・谷垣首相誕生」となった可能性もあった。そうなれば「3党合意はきちんと受け継いでもらえたはず」というのが野田氏の見方だ。
さらに、「当時の政治状況から、『解散が早いほど(民主党の)負け幅が小さい』との読みもあった」と振り返る。たしかに、そのころは飛ぶ鳥落とす勢いだった橋下徹大阪市長(当時)が維新の党を立ち上げ、国政参加に踏み出していた。野田氏は「橋下さん率いる維新の選挙準備が全国で終わったら民主党は第3党に落ちる、との危機感も強かった」と語った。
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