"ドジョウ宰相"、野田佳彦前首相の「恨み節」 6年前の「近いうち解散」とは何だったのか

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結果的に解散に踏み切れなかったのは、「3党合意の直後に李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領の竹島上陸や、中国との尖閣案件が起き、政治空白を作れなくなったからだ」と野田氏は振り返る。特に尖閣問題では「石原(慎太郎知事=当時=)さんの東京都が(尖閣を)買ったら、対中関係でハレーションが起きると思っており、急いでやれば国有化をやる時期に重なると考えた」と説明し、「谷垣さんは続投するだろうと思い、解散を少しずらすほうに動いてしまった」と悔やんだ。

野田氏が「近いうち解散」の先送りを余儀なくされたことで、自民党総裁選は構図が一変した。谷垣氏が出馬を断念する一方、「予想外の展開」で安倍氏の総裁再登板となった。その後、野田氏は11月14日の安倍氏との党首討論で突然「16日に解散する」と宣言し、12月14日投開票の衆院選で自民党が大勝し、民主党政権は3年3カ月で幕を閉じた。

野田氏は「当時の民主党内には、政権を維持して翌年の参院選との同日選挙を選択すべきだとの声もあった」と明かす。ただ、それを思いとどまったのは「そうすれば、(衆参)両方で大敗して、民主党そのものが壊滅すると考えた」からだ。もちろん「いくら何でも『近いうち』は年内で、政治家として嘘つきの汚名は避けたい」との思いもあったという。

消費増税、3度先送りのリスクがある

こうしてみると、野田首相の解散のタイミングが遅れたことで誕生したしたともいえるのが第2次安倍政権だ。野田氏は「振り返ればあの時が景気も底だった。いいタイミングで(安倍氏に政権の)バトンを渡しちゃった」と苦笑した。その安倍首相は、消費税増税について2014年は予定通り税率を8%に引き上げたが、10%への引き上げは2度先送りし、10月15日の臨時閣議でようやく「2019年10月から実施」の方針を表明した。しかしなお、与党内には「来年参院選前にまた延期するのでは」との疑念が残る。

この点について、野田氏は「断じて許されないが(安倍首相だったら)2度あることは3度というリスクがある」と警告した。

その後、安倍首相は国政選挙で勝ち続け、民主党は民進党に党名を変えて再起を目指したが、2017年10月の衆院選前に大分裂に追い込まれた。このため、後年に政治史を振り返れば、野田氏は「民主党最後の首相」と位置付けられることになりそうだ。

野田氏は解散断行を宣言した2012年11月の党首討論で、当時の安倍総裁との間で「国会議員が身を切る定数削減」を約束し合った。しかし昨年、自民党は参院定数を「6増」する方針を決め、国会でも強引に議決した。これについても野田氏は「約束違反で、身を切る覚悟すらない」と憤りをあらわにする。

野田氏は会見に先立ち、控室で座右の銘とする「素志貫徹」と揮毫した。同氏が首相時代に「官邸かわら版」と名付けたオフィシャルブログの2012年8月16日号には、この座右の銘について「常に志を抱きつつ懸命になすべきをなすならば、いかなる困難に出会うとも、道は必ず開けてくる。失敗する要因は色々挙げることはいつもできます。時代のせい、社会のせい、人のせい。でも、失敗の最大の要因は自分が諦めたときです。自分が諦めない限り失敗はありません」と綴っている。

現在は仲間割れした立憲民主、国民民主両党のどちらにも与しない無所属の立場を続ける野田氏は、会見の締めくくりで「未来に責任ある、緊張感のある政治を作るために、2大政党に向けてもう一度野党を結集しないといけない。残された政治家人生をそれにかける」と表情を引き締めた。ただ、参院選に向けての立憲など主要野党の選挙共闘協議については「もうタイムリミットだが、なかなか協議は進まない」と肩を落とした。

泉 宏 政治ジャーナリスト

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いずみ ひろし / Hiroshi Izumi

1947年生まれ。時事通信社政治部記者として田中角栄首相の総理番で取材活動を始めて以来40年以上、永田町・霞が関で政治を見続けている。時事通信社政治部長、同社取締役編集担当を経て2009年から現職。幼少時から都心部に住み、半世紀以上も国会周辺を徘徊してきた。「生涯一記者」がモットー。

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