「10種競技」右代啓祐、東京五輪メダルへの道 アジア大会2連覇した日本記録保持者の現在
今年8月に開催されたアジア競技大会(インドネシア・ジャカルタ)。男子10種競技で、国士舘クラブに所属する右代啓祐選手は7878点で大会2連覇を果たした。この種目で日本勢の2連覇は初めての快挙だった。
10種競技の勝者は「キング・オブ・アスリート」ともいわれる。
1人の選手が2日間にわたって「走る・跳ぶ・投げる」全10種目を競い合うスポーツであり、各種目の記録を点数化した合計得点により順位が決定する。
2日目 110mハードル、円盤投げ、棒高跳び、やり投げ、1500m走
この種目をみても、すべての陸上競技を満遍なくできることと、得意種目を伸ばし、いかに苦手種目を克服するかが重要な競技といえる。大会では2日間で行う過酷な競技だ。
右代啓祐が10種競技を始めたきっかけ
なぜ、右代は10種競技を始めたのだろうか?
原点は小学生の時だという。小学校で体育の時間に、走り高跳びで誰よりも高く跳ぶと、クラスでヒーローになり注目を浴びた。「褒められることは気持ちよかった」と、生まれて初めて最高にうれしい感覚を味わったそうだ。
その時の感覚は現在の競技人生の支えにもなっている。
アジア大会で9種目終了時点で2位につけていたが、最終種目1500mでその時の気持ちが一気に吹き出した。右代はトップを走っていたシンコン(タイ)を抜き去ってから10秒もの差をつけ、渾身の力を振り絞りながらゴール。大会2連覇という偉業を成し遂げた。
「走っていて、最後に前の選手を抜いて勝てれば良いと一瞬思いましたが、いや違う! 自分のためにこの大会があるんだ! みんな見てくれ! と攻めに切り替えました。
今までのレースを振り返ると守りに入ってしまうことがあったので、自分の殻を破りたいという思いもありました」
ゴール直後は、乱れる呼吸を必死にこらえた。2日間で過酷な全種目を終えた選手たちの表情は誰もが苦しそうで、この競技がいかに壮絶であるかを物語っている。
右代は、自身が持つ日本記録(8308点)を更新できなかったが、大会2連覇を達成。「本当にこの4年間頑張ってきて良かった。まだまだ自分はできるんだ」と、筆者にみせた笑顔は誇らしくも思えた。
挫折感を味わったことも数知れずある。
中学時代に陸上部に入部した右代は、短距離を中心に取り組んでいた。周りには自分よりも身体能力が高い人たちが多いと感じたこともあり、また、急激に身長が伸びたことでひざの成長痛に悩まされたこともあった。
良い結果を残せずに悔しい日々を送っていたという。
「それでも、決して腐ることはなく、コソ練(こそっと自主練)をずっと続けていましたね。やっぱり陸上が好きですから」
その成果が実り、高校2年時には、走り高跳びとやり投げでインターハイに出場するまでの選手となった。
転機となったのは、陸上部の監督が8種競技に転向することを勧めてきた時だ。物は試しと大会に出場すると、高校日本ランキング2位となる成績をたたき出し、その後のインターハイでも準優勝に輝いた。このとき右代は「陸上で人生の華を咲かせたい」と強く思うようになり、10種競技で世界を目指すことを決意したという。
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