結婚10年、37歳で離婚した女が受けた壮絶DV 長男の小児喘息発覚に「俺の子じゃねえ!」

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「せめてシャッターくらい開けていてくれればいいのにって思った。それから、ベッドの中で、仰向けになって横になって、泣いた。夫に気づかれないように、声を出さずにとにかく泣いたの。なんで私だけこんな思いをしなきゃいけないんだ。私の人生こんなんじゃない。こんなふうになるために生まれてきたんじゃないって。そのときに、もう終わったと思ったの。離婚したい、別れないとこの人とはもう無理だって、離婚を決めたの」

翌日から、離婚するためにどうしたらいいのか考えるようになった。まずは経済的に、自立することだと考えた。長男が小学校に入ると、少しずつ症状が安定してきたこともあり、午後の数時間だけ看護師としてパートタイムで働き、体を慣らしていった。

長男の病状が落ち着き離婚を決意

そして、長男がステロイドの吸入が完全に自力で行えるようになった小学3年生のときに、夫に離婚を突きつけた。離婚をめぐって聡とはもめにもめたが、離婚成立後は、看護師として身を粉にして働き、現在に至っている。

懸命に働く母の姿を見て育ったせいか、息子たちはたくましく成長し、いつしか社会人として自立した生活を送るようになった。あれだけ恵理子さんを悩ませた長男のぜんそくは、成長するにつれてうそのようによくなった。

恵理子さんは、45歳の時に、婚活サイトで知り合った人と再婚した。今の夫は、聡とは真逆の性格でおっとりしていて、平穏で幸せな生活を送っている。しかし、恵理子さんが聡から受けたDVの後遺症は今も続いている。最初の結婚生活から20年以上過ぎ去った今でも、不安に襲われることがあり、睡眠薬や向精神薬が手放せないのだ。最後に、率直に恵理子さんが結婚についてどう思っているかを聞いてみた。

「私は、再婚しているのでちょっと矛盾しているように聞こえるかもしれませんが」と前置きしたうえで恵理子さんはこんなふうに答えた。

「究極的には、結婚って別にしなくていいんじゃないかと思っています。私は看護師で経済力もあるし、事実婚でよかったかもしれない。そのくらい前の夫から受けたDVは、本当に怖かった。DVは結局相手と離れるしかないんですよ。じゃないと、絶対に変わらない。だけど別れたいのに、籍を入れたがために縛られるし、自分自身をも縛ってしまう。私がそうだったから。だから結婚以外の男女の関係があったら、そっちを選択するのも1つの方法だと思います」

そのしっかりとした揺るぎのないまなざしに、人生のさまざまな苦しみを背負ってきたゆえの底知れぬ強さのようなものを垣間見た気がした。

菅野 久美子 ノンフィクション作家

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かんの・くみこ / Kumiko Kanno

1982年、宮崎県生まれ。大阪芸術大学芸術学部映像学科卒。出版社で編集者を経て、2005年よりフリーライターに。単著に『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)、『孤独死大国』(双葉社)、『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日新聞出版)『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(KADOKAWA)など。

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