日本の医薬産業はなぜ米国に勝てないのか メディシノバ・岩城裕一社長兼CEOに聞く
企業への新薬開発アドバイスが発端、自ら創業へ
――まずは改めて創業(2000年)の経緯についてお聞かせください。
「私はもともと大学卒業後に心臓血管外科医になりましたが、臨床以外の時間を移植免疫に関する研究に費やすようになり、アメリカに留学しました。以来、免疫抑制分野で多くの成果を挙げてきました。創業に至ったのは南カリフォルニア大学で臨床・研究を続けていた1998年、田辺製薬から新薬開発についてのアドバイスを求められたことが発端です。
結局、「意見するだけでは無責任」ということになり、専門の会社をつくって対応することにしたのです。もともと田辺とは「10億円ずつを2年間にわたって資金を拠出する」という約束を交わしていたので、才能のある人物を社長に据え、研究者も採用しました。
ところが、田辺の方針が変わり「申し訳ないが2年目のお金が出せない」と言われた。ここで考えられる選択肢は(1)会社を閉めること(2)第3者への身売り(3)自分で事業を継続する、の3つでしたが、(1)(2)は無責任だと思ったので、(3)を選択。ベンチャーキャピタルなどから資金を募って開発を進めてきたというわけです。
――メディシノバは、2005年2月に大証ヘラクレス(当時、現・東証ジャスダック)、2006年にはアメリカのナスダックに上場を果たしました。日米での新薬開発についての環境はどの程度違うのでしょうか。
本当に大きく違います。ひと言では言い尽くせませんが、ぜひ読者の皆さんにも知っていただきたいので、できるだけわかりやすく説明しましょう。
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