61. 明治時代になると〈牛鍋〉がブームになり、肉食が滋養強壮に良いという概念が一気に広まっていく
62. 中世ヨーロッパでも人気の高かった「鷹狩り」は日本の古代皇室でも行われていた
63. しかし仏教の広がりとともに遊びとして殺生することが忌避されるようになり、皇室では衰退していく
64. 公家の間では続いていたが、武士が政権を担うようになると鷹狩りは武術訓練とみなされるようになる
65. 織田信長や徳川家康もその愛好者として知られるが、明治になると天皇の意向で鷹匠の育成も試みられた
66. しかし皇室による鷹匠育成は根付かず、その技術は民間の鷹匠に伝えられ、現在に至っている
67. 日本での狩猟は、木材生産者や鉱山経営者、炭焼きなど、山の諸生業のひとつとしても行われてきた
68. 東日本では鉄砲を用いた猟が主流だが、東北地方には冬場に集団で猟を行う「マタギ」と呼ばれる人々がいた
69. 独自の習俗を持つマタギの成立は平安とも鎌倉ともいわれるが、「万事万三郎」という猟師を祖としている
マタギの起源は一説によると天智天皇の末裔とも!?
70. マタギの秘巻『山立根本巻』『山立由来之巻』によると上野国・赤木明神と下野国・日光権現の戦いが発端
71. 苦戦を強いられた日光権現は白シカに化け、日光山の麓に住む弓達者な猟師・万事万三郎に加勢を求めた
72. 結果、日光権現は勝利し、万事は日本全国どこの山でも獣を獲ってよいという免許「山立御免」を授かった
73. これが日光派マタギの起源とされるが、一説によると万事は天智天皇の末裔とも伝えられている
74. マタギの活動期間は冬季~春の芽吹き前で、木の葉が落ち山中の見通しがよくなると集団を作り山に入った
75. 猟場は秋田の森吉山、八幡平周辺、奥羽山脈、白神山地、朝日連峰などの奥深い森林でときに数日間に渡った
76. 彼らの猟は日帰りの場合も多かったが、野宿するときは山中の洞窟や、自ら堀った雪洞を利用した
77. 活動期間中、何か月も猟を続けるマタギは〈旅マタギ〉とも呼ばれ、各地のマタギ宿と称する農家に逗留した
78. マタギ宿は、秋田県由利郡鳥海町や岩手県雫石町、沢内村などにもあったといわれる
79. 宿賃は猟のあとに精算する仕組みで、ときには旅先で結婚し、その土地に居ついてしまうマタギも多かった
80. その結果、マタギ独自の狩猟技術がじょじょに東北各地に広まり、後世に伝えられていった
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