飯舘村の「帰還農家」で咲かせた未来への希望 荒れ野の古里によみがえる高原の花々

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義人さんは、地道な土作りにも国の農業復興支援事業を使わせてほしい――と、窓口の福島県に申し込んでいた。数年の期間を要する計画案に県側は「すぐに再開したい人のための事業で、土作りなどは前例がない」と難色を示してきたが、説明を重ねた末、8月末にようやく認可の連絡が届いた。「ただ、土作りの農機具の機種によっては納期に3カ月も掛かるものがあり、この秋に計画した緑肥の播種はできないことになった」と義人さん。

さらにもう1年、待たねばならないのだ。「村の農業復興の根本は土の再生にある」という篤農家の目指すものと、速効性ある「メニュー方式」の事業予算で目に見える成果を上げたい国の復興政策の間には深い溝がある。

飢饉からの歴史に今を重ね

帰還したその年に花作りを復活させた啓一さんと、農業再生の道筋は異なる。が、2人が目指すものは、荒れ野になった比曽に再び人が戻り、次世代に手渡せる古里だ。

義人さんの長男義樹さん(40)は家族と北海道夕張郡栗山町にいる。避難先での営農継続を支援する飯舘村の事業に応募し、2015年9月に家業の和牛繁殖を現地で再開した。

遠く離れていても父親と話し合いを重ね、「飯舘村の復興に貢献できる技術を持つ農業者になって帰りたい」と希望を温める。義人さんが見るのは、たとえ世代をまたいでも、緑豊かな牧野をよみがえらせる未来だ。「村はいや応なしに自立を迫られる。国に依存する施策は後に続かない」

〈夏の間は雨天が多く、冷気甚だしく、綿入れを来ていた〉〈山中郷では9月2日、15日と小霜、27日には大霜となり、10月末には秋風強く、丹塊を喪い、嘆き悲しみ、騒ぎ合った〉〈翌天明4年の3月までは、砕けしいな、麦類、ヒエなどの雑穀に、クズ、ワラビの根を混ぜ、粥や団子にしてしのいだが、草木の萌え出る頃を待ち、セリ、ナズナ、ウコギ、クコ、カエルッパなどに藁(わら)の粉、こぬか等を混ぜ、練りモチや団子にした〉〈天明4年の春には、多くの餓死者に加え、疫病が流行し、病死、中毒死もあり、死者の数は増えるばかりであった〉

天明の飢饉(1782~87年ごろ)当時の旧比曽村(現飯舘村比曽、長泥、蕨平地区)を含む相馬中村藩の惨状を記した『天荒録』(現代語訳)の一節で、義人さんから教えてもらった。

「山中郷」は相馬中村藩時代の飯舘の旧名で、高冷地ゆえに死亡・失踪者は当時の住民5138人の37%に上った(『祥胤公年譜』より)。91戸あった旧比曽村で生き延びたのは数戸だったといい、その1戸が義人さんの先祖だった。荒れ野で復興のくわを振るった入植者には、啓一さんの先祖がいた。

天明の飢饉で失われた人口が回復するまでに、明治時代の中ごろまで約100年の歳月を要したと言われる。「地元に残った仲間がわずかでも、それは先祖たちが経験した現実と同じ」と啓一さん。「だが、先人の苦労を思えば、原発事故の痛手も乗り越えられる」。啓一さんは「復興」という言葉に、歴史と呼ばれるほどに長い時間を生き抜いた人々の覚悟を重ねていた。

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