40代でやっと悟った親との楽な「付き合い方」 親にだって親の人生や肩書がある
山田:僕はその頃はもう、ガッツリ引きこもり生活に突入してたので、ちょっと得したなという思いもある。というのも、対立関係となった両親の間で、ある時は父親の側について「いやあ晩飯が緑のたぬきだけって堪らんよなあ」みたいなことを囁いてみたり、ある時は母親の側について「家が大変なときに、親父ないわぁー……」とか言ってみたり。まあ、大変なのは僕のせいなんですけど(笑)、コウモリ的にうまく立ち回って、自分のポジションを確保するという。
スー:どうやって収束したんですか?
おかんの味ではなく、愛人の味だった!
山田:息子が引きこもっているだけでも辛気くさいのに、親父の不倫で自尊心はズタボロ……母も限界だったんでしょうね。
僕、隣町のアパートで1人暮らしをすることになったんです。まあ実家から追い出された形です。そしたら親父がやたらとタッパーに肉じゃがみたいなの詰めて持ってくるわけですよ。
内心、おかんが作ってくれてるんやろなと思って食べてたら、ある日、親父の後ろに不倫相手の女性が立ってる。「お父さんにいつもお世話になっております、これよかったら食べてください」とか言って、見たらいつものタッパーなんですよ! ずっとおふくろの味やと思ってたのに(笑)。
スー:愛人の味だった。
山田:僕のこと家から追い出したけど、やっぱり母親だ。息子の体を気遣ってくれてるんだと思ってたら、愛人の手料理だったという。その時は、僕も思春期で青かったんでしょうね。「どういうことやねん、これ」とカチンときて、肉じゃがをトイレに捨ててジャーって流したった。愛人は泣きながら飛び出していく。そしたら親父も女を追いかけて飛び出していったんです。
スー:追いかけちゃった(笑)。
山田:その時に、親との間に線引きができたというか、親といえども他人、別の人間なんだなという気持ちがね、なんかありました。
スー:お母様は山田さんに家を出ていくように言ったあと、どうされてたんですか?
山田:いや、多分もう本当につらかったんだと思う。その時は。子どもって親の人生をどこかちょっと「もう終わった」みたいに思いがちじゃないですか。親っていう生き物を。でも自分が親になってみると、まだまだ充実して生きていきたい。当たり前ですが。
当時僕が長いこと引きこもって、いろいろ変わってしまったせいで、母も追い詰められて、とにかくいったん、目の前からいなくなってほしいとなったんでしょうね。