ケインズの闘い 哲学・政治・経済学・芸術 ジル・ドスタレール著/鍋島直樹/小峯敦監訳 ~ケインズ評伝の決定版 実像を生き生きと描く

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ケインズの闘い 哲学・政治・経済学・芸術 ジル・ドスタレール著/鍋島直樹/小峯敦監訳 ~ケインズ評伝の決定版 実像を生き生きと描く

評者 北海道大学准教授 橋本 努

 本書を後ろから読み始めたら驚いた。巻末の付録「友人および同時代人が見たケインズ」によれば、ケインズは周囲の人々からあらゆる賛辞を送られた「愛と機敏に満ちた魅惑的人物」なのだ。これほど人情に厚く、会話の名手でありながら、当代屈指の学的貢献をなした人物というのは、もしかするとソクラテス以来かもしれない。

そう思わせるだけの筆力が、本書にはあるだろう。ケインズとともに会話を楽しみたい。できることなら同時代を生きてみたい。経済学者としてのみならず、論理学者、散文作家、心理学者、書籍収集家、絵画鑑定家、あるいは政治活動家としても活躍したケインズ。そのたぐいまれな才能の組み合わせによって、20世紀前半の歴史に大きな足跡を残した巨人の実像を、当時の状況を踏まえて生き生きと描き出す。本書は日本語で読めるケインズ評伝の決定版、その全体像に迫った記念碑的著作だ。

しばしばケインズは、「ケインズ主義者ではない」と言われるが、彼はつねに自分の見解を変更する余地を残していた。R・カーンの回顧によれば、ケインズは「自分が以前に考えたり主張したりしたことにまったく縛られずに、毎朝、新生児のように目覚めることの利点を享受している」としばしば語ったそうである。ならばケインズは、状況次第で現代のネオリベ政策を一部支持したかもしれない。彼の発想の根幹には、体系的な経済政策を貫くよりも、時と場所に応じて治療的な対応をすべきとの考えがあった。経済政策とは治療術であって、その技能はルールに縛られてはならないとの立場である。

むろんケインズは、日和見主義者ではない。本書が示しているのは、臨機応変な経済政策を導く際に、ケインズは洞察ある深い人間学を携えていたという事実である。ケインズの知性は、経済学を「副次的な学問」と見なすことができるほど、豊かな教養に支えられていた。

彼にとって政治経済の問題は、世界全体を幸福な場所にするという崇高な目的を持っており、しかも反功利主義的なものだった。ケインズの求める幸福とは、G・E・ムーアの言う倫理、つまり友情や親密な関係、美の観照や真理の追求を通して、「意識の善き状態」を獲得することであり、またその状態を集団で獲得するために、生活術を改良することであった。

ただそのための道は一筋縄ではいかない。道は逆説に満ちている。必要なのはさまざまな逆説に入り込んで緊張関係を生きることではないか。「ケインズの闘い」とはまさに、論争において理想を見失わず、人間な品位を保ちえた点にあるだろう。

Gilles Dostaler
ケベック大学モントリオール校教授。1946年カナダ生まれ。75年にパリ第8大学にて経済学博士号を取得。ケインズ、ハイエク、フリードマンを主な研究対象として経済思想史を専攻。

藤原書店 5880円  699ページ

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