→ 親は教師ではないので、親の方法を素直に受け止めるという可能性は低いです。もちろん親は心配して言っているので、それ自体が悪いということではありませんが、子どもは勉強の「助言」ではなく「命令」と受け取っています。親が言っているにもかかわらず、なぜ子どもは1回だけで満足するようになっているのかを考える必要があるでしょう。
→ こうやって、子どもは親からいつも下げられている自己肯定感を自分で引き上げるようにしているということを意味します。
最後に書かれている、子どものやる気をどうしたら引き出せるかという質問ですが、子どものやる気とは、おそらく勉強へのやる気のことだと思いますが、それに対する筆者の回答は、「学力(偏差値)という尺度1つで子どもを評価することをやめれば、子どもは勉強に向かい出す」ということです。
砂田さんは、学力だけで子どもを評価していないと言われるかもしれませんが、子どもの勉強の実態をかなり詳しくご存じであり、勉強に関して高みに上がろうとしないわが子に対して心配になっている時点で、無意識のうちに「勉強する子=よい子、勉強しない子=悪い子」と刷り込まれている可能性があります。すると子どもは、勉強できる自分を作ろうと無理をするか、それとも、今の自分を認めてほしいということで、現状のよさをアピールしたりします。
「当たり前」が正しいとは限らない
実際、多くの親御さんが、勉強しない子、自覚しない子、現状に満足している子を認めたくないため、あれこれと口を出します。しかし、この心配になる親心は当たり前かもしれませんが、その当たり前が正しいとは限りません。少なくとも勉強に関しては。もしそれが正しければ、とっくにみんな成功しているはずです。
では、どうすればいいかその方法についてお話をしましょう。それは
「勉強以外の尺度で、子どもの自己肯定感を引き上げること」
通常は、勉強のことが親の最大関心テーマであるため、無意識のうちに、子どもの評価尺度を学力・勉強・偏差値でみてしまいます。しかし、評価尺度が1つだと、人と比べるようになり、競争が始まります。すると優越感に浸る人と、劣等感にさいなまれる人に分かれるのです。後者の場合は、「自分はここまでと」天井を作り、限界値を作っていきます。限界意識は他者との比較から生まれるのです。
偏差値というのは、とてもわかりやすい尺度です。筆者は、これも1つの尺度であり、特に悪いとは思っていません。この尺度のおかげで、自分らしい人生を歩める子もいるのですから。問題は、この1つの尺度しかないように見えることなんです。
今の学校教育では、尺度が非常に限られているので、どうしても親もそればかりでみてしまいます。すると、比較はするし、戦わせるし、負けそうになるとしかり、怒るということすらあるのです。人の才能は、多様であるのに、たった1つの尺度でみてしまうということ自体、そもそも無理があるのです。
そこで、偏差値とは別の尺度を、子どもの中に見つけていくと、どのようになると思いますか。
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