PL学園野球部、廃部2年の今に残る最後の灯 元中日・立浪和義、東洋大・中川圭太の述懐

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廃部の引き金となったのは、度重なる不祥事の発覚だった。2000年代に入ってから、先輩・後輩の厳しい上下関係による、暴力の実態が明らかになっていった。当然、高校時代の立浪もそういう環境に身を置いていた。

「正直、僕らの時代では当たり前というか、あらゆる学校に、野球部だけじゃなくいろんな部活動に、上下関係はあったんですけどね。行きすぎた暴力は良くありませんが、最低限の厳しさは必要ですよ。正直、やりにくい世の中になったな、と思います」

野球部における2年半を生き抜いた者たちは、現代では忌避される部の“伝統”を、完全否定することはできない。

「別に野球選手に限らず、社会人として世に出て、お金を稼ごうとしていく中で、最初は雑用を経験し、修行のような時期って必要じゃないですか。今の若い世代は、最初の雑用段階で辞めてしまうこともある。人生においては我慢しなければならない時期がある。そういうことを学ぶために、スポーツがあると思う。スポーツって、簡単にはうまくならないから、根気よく練習しないといけない。そういうところが、スポーツ選手としてではなく、人として成長させるんです」

PL学園「82人目のプロ野球選手」

PL学園は、宗教法人パーフェクトリバティー教団を母体とする。野球部が廃部へと舵を切っていったその背景には、強くPL教団の意向が働いていた。その内実と経緯は『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』に詳しく記した。

決定権を持つのが宗教団体のトップ(教祖をはじめとする幹部)である以上、教団の傘下にある学園や、プロ野球選手81人を輩出した野球部のOBたちは彼らに直接、存続を嘆願したり、意見具申することはできない。

彼らに成り代わったつもりで、私は2014年7月からPL学園の廃部問題を取材し、存続・復活に向けて働きかけてきたつもりだ。

そして、新たな動きもある。この秋、PL学園のOBから「82人目のプロ野球選手」が誕生するかもしれないのだ。

その選手の名は中川圭太。2015年にPL学園を卒業し、東洋大学に進学した直後からレギュラーとして活躍。大学日本代表でも活躍を続けてきた大型内野手である。その経歴は、PLのOBで東洋大学から阪神に入団した今岡誠(現在の登録名は「真訪」、ロッテ二軍監督)と同じであり、中川は早くから“今岡2世”と呼ばれてきた。

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