あの首長竜を50年前に高校生が発見した必然 フタバスズキリュウ「発見50年」
鈴木:私は、フタバスズキリュウ発見から記載までに費やした「38年」という年月は、長くとも経なければならなかった時間だったと思っています。日本で古脊椎動物の化石が見つかるようになってから、この分野の研究を進めてこられた長谷川善和先生、真鍋真先生、そして佐藤先生とつながっていったからこそ、きちんと記載できたんだという気がしてなりません。
佐藤:学術研究、特に基礎科学の分野は一人の天才が突然成し遂げるものではなくて、積み重ねが必要なものです。フタバスズキリュウを例に挙げれば、戦前にこの地域で行われた炭田調査でアンモナイトが見つかり、その種類から地層の年代を特定されたというところから始まっている。
その調査があったから、高校生の鈴木さんは熱心に探したし、出てきたフタバスズキリュウが白亜紀のものだとわかる。そういう積み重ねがあったからこその大発見なんですよね。
鈴木:まさにそうです。
佐藤:個人的に、日本の基礎科学の衰退をとても心配しているんです。今は、すぐに結果が出ないと評価されにくい時代ですよね。これは長期的に見ると、サイエンスを傷つけるんじゃないかなと思うんです。
白亜紀を覗く小さな「窓」を広げる努力
鈴木:当時のことを話すとき、私はよく「窓」という表現を使います。フタバスズキリュウが発見された地層は、白亜紀の終わりに近い、およそ8900万~8500万年前にできた海の地層でした。
かつて日本では、この「窓」を覗いても、アンモナイトや二枚貝くらいしか見えないと考えられていた。ところがフタバスズキリュウが発見されたあとは、各地で海生爬虫類が次々と発見されました。とはいえ、日本にある白亜紀の地層は限られています。窓はとても小さい。その小さい窓を大きく広げるためには、今後もコツコツと努力を積み重ねていくしかない。
佐藤:そう思います。
鈴木:フタバスズキリュウは、改めて特別な存在だなと思うんです。「日本からは恐竜のような大型爬虫類の化石は出ない」という時代に決着をつけた。さらに、その化石が新属新種として記載され、学名がついた。佐藤先生がそういう形にしてくれたことで、世界の研究と日本の研究が結びついて、知見が広がり、窓がどんどん広がっていく。
佐藤:それも、やっぱり多くの先人のおかげなのでしょうね。今後も新しい研究手法は出てくるでしょうし、取り組むべき課題はいくらでもある。調べなくてはいけない場所もたくさんある。お互い、やるべきことはまだまだたくさんありますね。
鈴木:はい。今年はフタバスズキリュウの発見から50年ということで、いろいろな場所に呼んでいただいていますが、学術だけでなく、普及的な側面、メッセンジャーとしての役割も重要だと思ってやっています。私が伝えたいのは、化石のメッセージなんです。今は石だけど、その当時は生きていた。化石は無機物ではなくて有機的な生物の痕跡なんです。彼らと私たちは無縁ではない。複雑な系統樹のつながりのなかで、私たちは今ここにいる。そういう長い時間のつながりを感じてほしいなあと思っています。
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