「ブルックス ブラザーズ」を救った男の正体 従業員たちに愛される「ミスターD」

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「ブルックス ブラザーズは特別な場所だ。伝統のある偉大な企業だ」とデル・ベッキオは言う。

ブルックス ブラザーズのネイビーブルーのツイードジャケットに白のボタンダウンシャツ、暗い赤のニットタイ、細身の灰色のズボンに茶色のオックスフォードシューズを優雅に着こなしたデル・ベッキオは、自分の使命について思うところを語った。

より長く続く文化に育てるには

「私がここにいるのは、文化をさらに強固なものにするためだ」と彼は言った。「私がいなくなっても持続する企業を築いていかなくてはならない。この後20年もここにいるつもりはないからね。(ブルックス ブラザーズは今年、創業200周年を迎えたが、)これから200年後のことはひとまず置いておこう。肝心なのはビジネスよりも長く続く文化を育てようとしているということだ。そうすれば次の代になって台無しという可能性は低くなるだろう」。

デル・ベッキオはイタリア出身。父レオナルドは眼鏡の世界最大手ルクソティカを興した立志伝中の人物で、6人きょうだいの一番上としてミラノで育った。

デル・ベッキオがブルックス ブラザーズについて知ったのは、当時のイタリア人男性の多くと同じで、自動車大手フィアットの経営者で伊達男として知られたジャンニ・アニェッリを通してだった。アニェッリは1960年代初めにブルックス ブラザーズのオックスフォードシャツを着るようになった。アニェッリは世代を超えてイタリア男性のあこがれであり、人々は彼の着るものをまねした。

ルクソティカは1982年、北アメリカ事業の責任者としてデル・ベッキオをニューヨークに送り込む。若き経営者が真っ先に向かったのはマディソン街のブルックス ブラザーズ本店だった。1992年にルクソティカはブルックス ブラザーズと米国では初となるライセンス契約を結ぶ。この時、デル・ベッキオはブルックス ブラザーズの幹部たちと知遇を得た。

ところがそれから数年の間、デル・ベッキオはブルックス ブラザーズがアメリカのビジネスクラシックの旗手という長い伝統を捨てようとしているさまを危機感を持って見守ることになった。

(写真:Karsten Moran/The New York Times)
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