「ブルックス ブラザーズ」を救った男の正体 従業員たちに愛される「ミスターD」
アメリカのアパレル大手ブルックス ブラザーズのオーナーCEOになってからまもない2002年初め、クラウディオ・デル・ベッキオは同社が行くべき道から大きく外れているという現実に直面していた。
デル・ベッキオが知ったのは、製品に使われる生地の品質が低下し、シャツは着る人の体に合わないものばかり、製品のバラツキもひどいという事実だった。入荷したブレザー1ラック分が、同じ紺色のはずなのに色の濃さがバラバラという事態も起きていた。
昔からのブルックス ブラザーズの顧客たちもこの状況に気づいていた。
原点に立ち返るという決意
オーナーになってまずデル・ベッキオがやったことの1つは、ブルックス ブラザーズを愛する顧客たちからの怒りの手紙の山に目を通すことだった。客たちは、前の親会社である英小売大手マークス&スペンサーの下での品質低下を口々に嘆くとともに、ブレザーやスーツの品ぞろえの悪さに文句を言っていた。
手紙の内容はデル・ベッキオ自身の見立てを裏付けるもので、彼はブルックス ブラザーズを原点に立ち返らせるという決意を新たにした。「売り上げ増に向けたビジネスチャンスはここにあると思った。どう対応すべきかはわかっていた」と彼は言う。
新経営陣は危機対応モードに入った。経験豊かなチーフマーチャントのエラルド・ポレットを先頭に、彼らは取扱製品の刷新に向け、納入業者の中でも特に優れた会社を結集させた。リニューアルのために仕様変更や生地の品質向上が求められる製品はあまたあり、高い縫製技術も必要だった。改良版の製品の第1弾が店頭に並んだのは約半年後。だぼだぼのカーキズボンや、不格好なポロシャツは姿を消した。
従来の2層構造のメキシコ製カシミアセーターに代わり、3層構造の高級イタリア製カシミアニットも登場した。ブレザーとカーキズボンのスタイルは、それぞれ1種類から3種類に増えた。2003年春には商品の刷新が完了し、昔からのファンが戻り始めた。
1990年代の終わりから赤字経営が続いていたブルックス ブラザーズだったが、デル・ベッキオによれば2004年にはわずかながら黒字に転じた。