「泣き虫しょったんの奇跡」に学ぶ諦めない心 編入のプロ棋士・瀬川晶司の自伝が映画に
一方、実際の瀬川五段と接してみた松田は「いつも穏やかでゆったりとした空気を持っている」と感じたという。豊田監督も「僕のいい人グランプリでベスト3に入るいい人! あの人格があってこその奇跡――師匠や仲間の皆さんとのつながりが生まれたんだなと納得しました」と感じたそうで、それはこの映画の劇中でも、対局相手から「将棋に人の良さがあふれている」と感心されるというシーンが描かれるほどだった。
そんな瀬川晶司の周りの人物たちも実に魅力的だ。
プロ棋士になりたいという息子に「好きなことを仕事にするのが一番だ。がんばれ」と言って励まし続けた父(國村隼)。引っ込み思案だった瀬川少年に、「どんなことでもいいからそれに熱中して上手になったことがある人は、いつか必ずそのことが役に立つ日がきます。そういう人は間違いなく幸せをつかむことができると思う。だからしょったんはそのままでいい」と、包み込むような言葉で自分を肯定することの大切さを教えた担任の鹿島澤先生(松たか子)など、一人ひとり挙げていけばキリがないほどだ。
そしてそんな人たちと触れあう中で、将棋が好きだという「ありのまま」の気持ちが育まれ、瀬川晶司という棋士の下地を作り上げたことが描かれる。
本作のメガホンを取ったのは、『ナイン・ソウルズ』『空中庭園』の鬼才・豊田利晃。実は9歳から奨励会に在籍していたという異色のキャリアを持つ。しかし17歳の時にプロ棋士への夢をあきらめ、挫折を経験している。この映画に流れる「夢破れた者」へのまなざしは、そういったバックグラウンドも多分に影響しているのだろう。
将棋を指す手つきにこだわる
同時に、将棋のプロを志していた豊田監督だけに、将棋の対局シーンは見どころのひとつだ。瀬川五段が直接指導を行った本作は、「将棋を指す手つき」にこだわっており、その手つきはもちろんのこと、パチン、パチンと駒を打つ音がまるで音楽のように心地よく鳴り響く。
そこに元Blankey Jet Cityのベーシスト・照井利幸が作り出した音楽が流れる。それはまるで棋士たちを鼓舞するかのように鳴り響く。また、対局の模様を360度から縦横無尽に映し出した映像は、あたかも格闘技を観ているような興奮を観客にもたらす。映画を観た瀬川五段もその対局シーンを「とてもカッコよく、美しく撮られていて本当にうれしかった」と語っている。
将棋の対局において、負けを悟った者は頭を下げて「負けました」と相手に伝え、対局を終わらせなくてはいけない。この映画の中でも、数え切れないほどの若者たちが「負けました」というセリフを発している。だがその「負けました」という言葉の裏にはどれだけの挫折や絶望の思いが隠されているのだろうか。
瀬川五段は原作本の中で、「将棋という激しいゲームは、負けた者に、人格まで否定されたようなショックを与える」とその気持ちを説明する。だからこそプロ棋士は、どんなに痛い負けでもすぐにそれを忘れるような技術を身に付けているという。
この映画は瀬川晶司というプロ棋士のサクセスストーリーであると同時に、「負けました」と頭を下げ続け、そこでもがき続けた男たちのドラマでもある。立場こそ違えど、挫折を繰り返したその痛みに共感できる人は多いのではないだろうか。だからこそこのドラマが胸を打つ。
(文中一部敬称略)
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