日本の知識人が「いつも中国を見誤る」理由 問題は「近代日本の中国観」にある

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しかし日本人は耳を貸さず、近隣諸国に甚大な被害を与え、自らも傷ついてほとんど滅亡しかけた。海外領土を失った戦後の日本は、やむなく「小日本主義」を実践したところ、高度経済成長を実現し、戦前にも勝る大国の地位を築いて、今に至っている。

中国に対する「同情」

そのため戦後一貫して、石橋の先見力と「小日本主義」は、高い評価を受けてきた。手放しの称賛といってもよい。一般の日本人が反省するだけなら、それでもよいだろう。しかし、今昔の日中関係をつぶさに考えるなら、こうした経済的リアリズムだけで十分であろうか。石橋は当時、高まった中国ナショナリズムにも、多くの論評を加えている。

「我が国民が満蒙問題を根本的に解決する第一の要件は、以上に述べたる支那の統一国家建設の要求を真っ直ぐに認識するということだ」

これは1931年、満洲事変直後の文章である。だが先に引いた「大日本主義の幻想」と同じ時期から、同様の主張は見えていて、石橋本人はこれを中国に対する「同情」と称した。

この「同情」はもちろん「小日本主義」と結び付いて、中国に対する日本の干渉・侵略を鋭く非難する論鋒と化す。これまた、権益保持と対中蔑視をとなえる当時の大多数の輿論とは、真っ向から対立した。日本帝国主義が中国民族主義に敗れた後になって、やはり高く評価された思想である。

ところが石橋は、ただ自国のみを批判していたわけではない。当時の中国に対しても、「駄々ッ子」と物申していた。南京国民政府が統一を果たした1928年、中国はその波に乗じて、列強に不平等条約と権益の破棄を要求した。以下、それに対する論評である。

「すべて政治は実力だ。実力を伴わぬ主張は、どんな立派な主張であっても、空言だ。……支那の第一革命以来の国民運動は、言葉だけはいかにも立派であったけれども、その為しつつある所を見れば、ことごとくその言葉の実行力無きを証した」

当時の中国は税制も法律も、裁判も警察も不完全で治安維持ができる「実力」はない。とても生命財産を託しうるような「世界の文明国」ではありえないと断じたのである。中国の「国民運動」を理解せよ、と日本人に迫った石橋は、ほぼ時を同じくして、その「国民運動」は「言葉だけ」だと批判した。これはどう見ても、矛盾である。

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