相手の認識こそが真実である
企業再生の施策は多くありますが、手法や規模はどうあれ、いわゆる人員を減らす広い意味での「リストラ」は、多くの場合、避けて通れません。
一口に「リストラ」と言っても、そのアプローチは希望退職、退職干渉、整理解雇など、会社の状況によってさまざまです。多くの場合、このアプローチに大量のエネルギーを投下するわけですが、いずれのアプローチを使ったとしても、「リストラ」が社員にもたらすメッセージ性、受け取る印象や認識は、そんなに変わるものではありません。
もちろんテクニカルな違いはたくさんあるのですが、そこから魅力的なパッケージをいかに提供しようとも、「結局、リストラでしょ」という身もふたもない認識が大勢だったように感じます。
本来、辞めるはずのなかった人が会社の事情で辞めていくことは、どんな手法であってもやはり「リストラ」という印象を受けるものです。説明を尽くして、すべての社員に手法が100%正確に理解されるというのは、ほぼ間違いなくフィクションであり幻想です。ましてやその家族やその友人知人、取材するメディアまで含めて、経営側の思いが正確に伝わるということはありえないと思います。
「これはリストラではなく、割増退職金と再就職斡旋をセットでつけた魅力的なパッケージだ」とか、「実際はリストラではなく、再雇用の雇用期間満了と共に次回からの契約更新を是々非々で行っただけだ」と言い換えてみても、やっぱり「しょせんリストラでしょ」で片づけられてしまう。でもそれこそが本質だと思います。
少し話が脱線しますが、以前、ある会社の従業員意識調査をしたことがありました。社内の情報伝達や各種制度などに対してアンケートを取って満足度を把握するものですが、その会社の結果はさんざんでした。
その報告をまとめたときに、当時のコンサルティングのお客様だった経営層からの第一声は、「従業員の不満は事実誤認に基づくもので正しくない」というものでした。言われてみれば確かにそのとおりで、従業員の多くが事実関係を誤認し、その誤認に基づいて不満を述べていました。
では、その会社の事実誤認をしていた社員が悪いかというと、私はそうではないと思います。ここでの問題は「事実を間違って認識させていること」にあるからです。「(発信者側ではなく)受け手がどう受け止めたか」が唯一の真実です。
私はこのことを「Perception is Reality(相手の認識こそが真実である)」と学びました。
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