LGB「T」をのけ者にする芸能界の"暗黙の了解" 日本ではトランスジェンダーが活躍できない
繰り返しになるが、わたしたちの生きる社会は「シスが一般的、トランスは例外的な存在」という価値観に支配されている。
多くの人が「女/男」と言うとき、「シス女性/シス男性」を指しているし、人を見るときにその人が「女か男か」とジェンダー属性を判断する。テレビ、映画、舞台芸術作品に「女優/男優」が出るときは、基本的にそれは「シス女優/シス男優」が想定されている。
トランスがシスを演じるハードルの高さ
ここで留意しておきたいのが、映画と演劇が求めている「リアル」の違いである。
演劇はセット空間自体からして虚構であることが、あらかじめ観客と共有されている。俳優が椅子を指して「テレビだ」と言えば、その設定が観客に共有されやすい。
一方、映画やテレビドラマの場合は、「わたしたちが生きている世界の延長線上」の手ざわりを作り出せる。観客側からも生々しさが求められる傾向があるため、セットには椅子は椅子として、テレビはテレビとして置かれる。
このように現実の延長線上として見せる映画やテレビドラマだと、トランスはトランス以外を演じることが難しい。映像は、舞台作品以上に現実の俳優自身と地続きのものとして、観客に受け取られやすいからだ。
筆者の経験を通して考えてみると、シス女性より骨格のうえでしっかりしているとか声が低いとか、演技では越えられない身体的な特徴で評価を下されやすくなる。
観客がトランスの演技を見るときには、既存の「女らしさ/男らしさ」にいかに近づけるかどうかが1つの評価基準となっているのではないか。
一方で、シスがトランスを演じた場合、前回の記事で紹介した欧米の映画作品のように、演技として高く評価されやすい。
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