国策でグローバル人材を育成するという矛盾 古典を学ぶことが「エリートの反逆」を防ぐ
施:90年代の新自由主義の時代になってくると、それまでは現場から上がってきた声に合わせて運営していた大学に、「改革しろ」と言って予算を握る政府が口を挟むようになってきた。審議会政治といわれるように、外部のいわゆる識者たちの意見を取り上げるようになり、結果として現実とずれた改革案ばかり出てくるという状況があります。
藤本:現場では大学改革の価値観に従うかたちで研究や大学の運営が行われるようになっています。とりわけ1991年の大学設置基準の大綱化以降、官庁主導の改革に大学側が抵抗しなくなり、むしろその流れに乗ろうとする傾向が強まりました。
佐藤:戦後日本では80年代ぐらいまで、大学人の主流は左翼と相場が決まっていました。しかるに戦後左翼の主たる特徴は、自国政府への不信と否定。
よって、政府に反対していれば正しいと構える姿勢が、大学でも濃厚に見られました。けれども研究費、つまりカネの話になると、一転して政府に頼りだす。左翼なので、企業のカネをもらうことに抵抗があったんですね。
政府の不信・否定を主張しながら、当の政府に頼るというのは、明らかに矛盾します。かつての大学人は、この点を権威主義でかわしました。「大学は高邁な真理を探究しているのだから、そのためのカネはもらって当たり前」とやったのです。
ところが70年代、左翼の社会的影響力が衰えます。80年代に入ると、文化的な教養主義までが崩れる。90年代を迎えたころには、大学の権威は多分に形骸化してしまいました。そこに政府主導による改革の大波が来る。
しかも改革の方向性である新自由主義やグローバリズムは、国という枠組みの否定につながります。戦後左翼の理念と合致する形で、政府に頼るなと迫ったわけです。権威主義に頼れなくなった大学人が、抵抗できるはずがありません。
左翼を気取る大学教員
施:90年代はじめのころは、たしかに大学にも左翼が多かったと思います。ただ大学教員の場合、本気でマルクス主義を信じているというよりは、反戦という時代の雰囲気に乗って左翼を気取っていたところがあるように感じます。
小野寺龍太さんという九州大学名誉教授の『愚劣の軌跡――「共産主義の時代」に振り回された大学人たち』(春吉書房、2017年)という本に出ていたエピソードですが、ベトナム戦争の最中で九大でもマルクス主義が全盛だった1968年、建設中だった九州大学大型計算機センターに、米軍のファントム偵察機が墜落したんです。
これに九大の執行部が抗議して、「米軍は福岡空港から撤退せよ。それまで機体は返さない」と言ってファントムを人質に取った。半年ほどゴタゴタやっていたら、「建築中の計算機センターの予算を切るよ」と文部省に脅されたわけです。
そうなると「やっぱり予算のほうが大事だ」ということになって、結局は返したんですね。ただ執行部としては格好がつかないので、「何かわけのわからない勢力が出てきて、機体を奪っていった」という話にしてごまかしたそうです。反戦といってもしょせん、その程度なんです。
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