国策でグローバル人材を育成するという矛盾 古典を学ぶことが「エリートの反逆」を防ぐ
施:グローバリズムに対しても、心のうちでは「今推進されている大学の『グローバル化』って本当に意味あるの?」という教員がほとんどなのに、表立っては「グローバリズムはナショナルな閉鎖性に対するアンチテーゼ。コスモポリタンとしてそれを支持する」というスタンスです。そういう態度をとることがカッコいいという雰囲気があって、みんながそういう顔をしている。
大学教員にはそういう軽薄なところがあります。イギリスの政治哲学者ジョン・グレイなどは、「新自由主義はマルクス主義に取って代わった存在である」と指摘していますが、私も同感です。
ただ、昔は文部省はマルクス主義的な大学側と対立していたので、急進的な改革が進むことはなかった。ところが今は大学の教員も中央官庁の官僚たちもおしなべて新自由主義に染まっているので、結果的にそれに沿った方向で大学改革が急速に進んでいるのではないかとも思います。
翻訳学問を教えるのが大学の仕事
佐藤:日本の大学教育の基本は、西洋文明の習得と啓蒙です。問題は教員が、自分の教える内容を、自分でもちゃんと理解していなかったとしか思えないこと。
私は2014年、『コモン・センス 完全版』という本を出しました。トマス・ペインの名著の翻訳ですが、実はこれ、以前から岩波文庫で訳が出ています。ではなぜ、改めて訳したかというと、岩波版では話にならないと判断したからです。
文章が生硬で読みづらいうえ、民兵組織を「組合」(!)と訳したり、文中に登場する人名をめぐる脚注が間違っていて、同姓の無関係な人物のことを記述していたりする。あまつさえ、最後の節(私の訳では18ページあります)がまるごとカットされており、そのことに関する断り書きがない。あれでトマス・ペインの思想がわかるのか疑問です。
中野:人文系の外国の古典の場合、ほとんどの日本の学生は翻訳でしか読まない。で、読んでわけがわからないと、「わあ、難しいことを言っている。これをわかる先生はすごい」となって、なぜか権威が高まる。
佐藤:自分でもわかっていないから、権威主義に逃げるほかないんですよ。真剣に内容を理解しようとした学生から「ここ、どういう意味ですか。わかるように説明してください」と追及されたら、おそらく答えられない。だから多くの先生方は、そんな質問が出てこない雰囲気を作ることに必死になるわけです。
藤本:大正期の旧制高校の教養主義もエリートの特権と結び付いていた、と指摘されますね。翻訳された古典作品など、難解であるほど、一部の人にしか理解できないものとなって、そのように一部の人にしか理解ができないということで学問が権威づけられた、ということはあったと思います。
問題はそうした翻訳言語を中心に作られた学問の言語が、日常の言語から乖離してしまったことでしょう。それが学問としての哲学の実用性の低下を招き、歴史的に重要な概念の多くが理解されないまま今日に至ってしまったと思います。
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