なお批判者の中には、「フェアプレーポイント」の名称にこだわる者がある。日本とセネガルは、勝ち点はもとより、勝敗引き分けが同数、得点も失点も同じ、直接対決は引き分けと、あらゆる面で拮抗しており、イエローカードの少なさで辛くも日本が上位に立った。このイエローカード数による判定が「フェアプレーポイント」と呼ばれることに対し、時間稼ぎはフェアでない、と噛み付く者がいる。そんな試合運びをして決勝進出とは、何が「フェアプレー」だ、怪しからん、というような論説が見られる。
この批判も妥当ではない。イエローカードは反則の結果であり、時間稼ぎは反則ではない。反則をフェアプレー違反に問うのは当たり前で、形式上この論は意味をなさない。実質上も、カードをもらうような反則は重大な負傷につながりかねないものあって、その危険性から、ボール回しと異なって、悪質とされているのである。フェアプレーポイントのあり方は妥当であり、その名称からボール回しを難ずるのは、感情的にすぎて不当である。
「観客にとってどうか」というより重要な問題
より本質的な批判は、得点を目指さない時間稼ぎのゲームは、観客にとって面白くないから、プロスポーツとして許されないというものであろう。確かに、ボール回しは、当該チームのファンにとって今か今かとワクワクする時間であっても、観戦に来た第三者にとっては、退屈この上ないであろう。ここに「応援」と「観戦」の心理の違いがある。その問題は後段に譲り、まずルール面で、過去に「時間稼ぎ」がどのように扱われたかを見よう。
観客が呆れ怒った「談合試合」として名高いのは、1982 年ワールドカップの西ドイツ対オーストリア戦である。対抗馬のアルジェリアの試合は事前に終了し、その結果、両国の2次リーグ進出の条件は、試合前に確定していた。西ドイツは勝てば、また、オーストリアは負けても2点差以内なら、それぞれ2次に進めるとわかっていたのである。この試合は、西ドイツが前半7分に先制、そのまま両チームとも攻める気配を見せず1-0で終了した。
この悪評高い試合後、FIFAは1次リーグの最終戦は同時刻に開催することにした。
好プレーを見たい観客にとって、時間稼ぎは好ましくない。これを回避する策を考えた結果が、最終戦同時開催である。同時進行であれば、1982年の西ドイツ対オーストリア戦のように、時間稼ぎが必ず成功する保証がない。アルジェリアがプレー中なら、その結果いかんで、得点を目指さないと一次敗退のおそれがある。もちろん、それは確率の問題で、他力本願であっても守って勝つ可能性のほうが高いこともある。この場合、時間稼ぎ戦法は、ある種の賭けとなる。
今回、西野ジャパンが行ったのが、まさにこの賭けであった。そして、日本は賭けに勝った。
FIFAは日本戦のあと、メディアなどの批判を認識して記者会見し、大会終了後に考慮するとしつつも、「ルールを変更すべき理由はないと見ている」と述べた。長年の消極的試合への問題意識の上で、ベストの策として現行制度を定めたのであるから、自然な意見と思える。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら