「ファミコンブーム」にあれほど熱中した背景 ゲーム界の伝説、高橋名人が今だから語る

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そういった事情もあって、宣伝部としては1本のソフトを長期間売りたい。そこで、雑誌やテレビに記事を出すためのネタとして、秘密のものを隠しておき、「ここでこうしたら、こういうキャラクターが出るよ」というように後出しをするために、隠しキャラなどは手持ちのネタとして入れておいたのです。

しかし、1985年~1986年ぐらいからは、ロムのプログラムを読まれて、隠されているものが最初の1週間ぐらいでぼんぼん出されるから、お手上げ状態になっていましたね。

とにかく、昔のプログラマーや開発の皆さんは、メモリの許すかぎり「どこかに何か面白いものを入れたい!」「よりよくしたい!」という気持ちがあったわけです。みんな考えることは同じなんです。

それが、ファミコンという、大人じゃなくて子どものなかに広がったことで、子どもがまた逆に面白おかしく解釈して、雑誌も面白おかしく紹介するものだから、「裏技」という文化に一気に火がついたということではないかと思います。

ファミコンはなぜ大ヒットしたのか

なぜ、ファミコンが子どもにウケたのか?

その理由として考えられるのは、それまでの日本におけるテレビゲームの流れにあると思っています。

『高橋名人のゲーム35年史』(ポプラ新書)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

インベーダーゲームが出て、「インベーダーハウス」(現在のゲームセンター)が日本国内に乱立した時代。100円玉を積んで、みんなが遊んでいました。

すると、そこに不良がやってきて「俺によこせ!」みたいな恐喝などがあったので、PTAが小・中学生はゲームセンターへの入場を禁止にした流れがありました。

テレビゲームという未来的な遊びが面白そうなのに、子どもたちは遊べない。その鬱憤が、ファミコンが出てきたことによって晴らされました。アーケードゲームと同じものが家でできるようになったからです。その最初が『ドンキーコング』です。

これだけでも、ファミコンが売れた理由になると思います。

高橋名人 ドキドキグルーヴワークス取締役、ゲームプレゼンター

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たかはしめいじん / Takahashi Meijin

北海道出身。本名高橋利幸。1982年株式会社ハドソン入社。第1回全国ファミコンキャラバン大会で高橋名人の称号を確立。以後、ハドソン全国キャラバンを中心に各種イベント、テレビなどで「ファミコン名人」として活躍。高橋名人ブームを巻き起こし、「16連射」「ゲームは1日1時間」などの流行語も生む。テレビ東京の朝の情報番組『おはようスタジオ』にレギュラー出演。1986年にはファーストシングル『RUNNER』、ファミコン用ソフト『高橋名人の冒険島』が発売され、100万本のセールスを記録。そのほかにも、映画『GAME KING高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』の主演、自身をモデルにしたマンガ『ファミコンランナー高橋名人物語』の連載、自身がモデルとなった高橋原人が登場するアニメ『Bugってハニー』が放送されるなど、幅広く活躍する。その後、ゲッチャ・コミュニケーションズ、株式会社MAGES.を経て、2018年より現職。現在も、『しくじり先生』『お願い!ランキング』(以上、テレビ朝日)、『コロコロアニキ』(小学館)、東京ゲームショウや闘会議などで活躍。また、ニコニコ生放送『電人☆ゲッチャ!』のMCとしても活躍中。著書に『高橋名人のゲームは1日1時間』(KADOKAWA)などがある。

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