「ファミコンブーム」にあれほど熱中した背景 ゲーム界の伝説、高橋名人が今だから語る
高橋名人とファミコンの出会い
1982年8月に私はハドソンに入りました。
実は皆さんが思っているように、ファミコンがあったからハドソンに入社したわけではありません。ファミコンは私が入社した翌年の1983年に発売されていますからね。それよりも、パソコンのプログラムに興味があったからです。
当時読んでいた、『月刊マイコン』というコンピュータ雑誌の表紙をめくると、ハドソンの広告が載っていたんです。
コンピュータをやり始めたときにそれをずっと見ているので、「あ、すごい大きい会社だな」と思っていました。
しかも住所を見ると、(札幌市豊平区)平岸というところで、高校時代の通学路の途中で近いというのもあって、名前は徐々に刷り込まれていました。
私のファミコンの最初の仕事は、『任天堂のファミリーコンピュータ ファミリーベーシックがわかる本』という本の制作だったのですが、その仕事が終わったあと、「今度ハドソンでもゲームを出したいよね」という話になり、ゲームを作り始めました。そこで、第一弾として、『ロードランナー』と『ナッツ&ミルク』というゲームを作り始めます。
最初の作品なので、2本ともにハドソンのオリジナルがいちばんよいのですが、「売れないと倒産するよね」ということで、「1本は、今、有名なやつがいいんじゃないの」という話になり、当時、世界的に『ロードランナー』がはやっていたので「じゃあ、これ面白いから、これでいこう」ということになりました。
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