”低医療費で長寿”の真実--崩壊前夜の「長野モデル」

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高度医療と在宅の連携 病院を軸に町おこしも

ローカル色豊かなJR小海線・臼田駅から歩くこと10分。千曲川に架かる臼田橋を前にすると、のどかな風景から突如、異様な光景へと切り替わる。河川敷を埋め尽くすほどの自動車。そして老朽化した建物の屋上にはおよそ似つかぬ、県内唯一のドクターヘリが出動を待つ。

そんな佐久病院が創立されたのは1944年。当初は実態は診療所だったが、今や臼田の本院だけで821床、1日当たりの外来患者数は約1800人の基幹病院だ。外来入り口には27診療科の約200人の医師名が並ぶ。各地の医師不足とはまるで異なる充実ぶりだ。

背景には創立翌年に佐久病院に赴任し、以来50年にわたり院長、総長として農村医学を実践し続けてきた、故若月俊一氏の存在が大きい。若月氏は「農民とともに」を旗印に、高度先進医療から診療所医療・在宅ケア、保健・福祉まで、地域のあらゆるニーズに応え続けてきた。こうした理念や実績に引かれて集まった研修医を、自前の研修で診療の中核へと育て上げてきた。実際、勤務医の9割が県外出身で、研修医を除く勤務医の半数近くが同院の研修医出身のため、昨今の大学医局からの派遣医師引き揚げの影響は小さい。そのため長野県が策定した第五次保健医療計画では、救命救急や産科・小児科医療で重点的な位置づけがなされている。全国で10番目のドクターヘリの運航がなされ、一昨年には長野県東部唯一である「地域がん診療連携拠点病院」にも指定された。

高度医療対応と並び、同院の特徴が訪問診療の充実だ。若月氏が就任早々、無医村への出張診療を始めるなど歴史も古い。94年には訪問診療を担う「地域ケア科」が設立され、今では17人の医師がチームを組み実施している。

「佐久病院の訪問診療は病院ならではのもの」と、地域医療部長の朔哲洋医師は語る。佐久病院は本院だけで寝たきりの人など350人前後の訪問診療の患者を抱える。月1回のペースで担当医が訪問するほか、必要に応じて、眼科、皮膚科、形成外科などの専門科による訪問診療も実施している。「5人の看護師がつねに患者の状態を管理しており、ペースメーカーの交換からレントゲンの撮影まで在宅でできる」(朔医師)充実ぶりだ。日本福祉大学の牧野忠康教授は「佐久病院のようにまじめに訪問診療をしたら、本来入院するよりコスト高になる。厚労省が思惑する医療費削減のための在宅誘導は実態にそぐわない」と言う。

「母は入院生活が本当に嫌でした。先生のお陰で家に帰ることができ、今は元気になりました」。この日2軒目の訪問診療先で、患者家族の拝み倒さんばかりの感謝に、川上村診療所長の長純一医師は苦笑した。長医師は佐久病院の地域診療所科医長としてレタス栽培で有名な川上村に派遣されている。川上村を含む、佐久病院以南の南佐久郡は過疎化が進み、すでに高齢化率3割を超える。無医村の時期もあったが、今では佐久病院がすべての村診療所に常勤医師を派遣。長医師は外来のほか、週3回の訪問診療を行っている。

先述の患者は重い病を早期発見し、佐久病院の専門科で高度技術を要する処置を施し一命を取り留めた。早くに自宅に戻れたのは、専門科医師の同僚の長医師が、川上村にいるからだ。「診療所医師は週1回本院に戻りその日は代診が出る。診療所と病院の医師の行き来が頻繁でコミュニケーションは極めて密」(長医師)という仕組みが効いている。


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