「民生」の意味を調べると、「国民の生活、特に社会福祉面に関する事柄」とある。しかし、激甚災害からの復旧の要否を判断する場合、その路線が法で定める「民生の安定上必要」と具体的にいえるかどうかの判断は極めて難しい。公共交通機関である以上何らかの形で必要としている国民や企業は存在する。その意味では民生の安定に必要でない路線はそもそも想定しにくい。
今回の法改正では抽象的に「民生の安定上必要であること」とされ、直接的には規則などで「民生の安定上必要」とされる判断基準を定めるとの言及はないようである。かつてに比べれば道路の整備も進み、バスなどの公共交通機関も安定的に輸送能力を発揮できるようになっている。むしろ今はさまざまな公共施設や機関が点在している地域も多く、少数利用者の輸送ならば、鉄道よりも機動性を有するバスなどのほうが「民生の安定上必要」と評価されることもありうる。
具体的な基準が必要ではないか
「鉄道神話」は今なお根強い。もちろん、鉄道のもつ定時性、速達性、輸送力の魅力は今も色あせていない。加えて、鉄道自体の持つノスタルジーによる観光集客力、車両を利用した観光需要の創出なども最近では脚光を浴びている。交通再編や地域経済の活性化の主役という点からも鉄道が見直されつつある。数字だけでは鉄道の能力を計りきれないということもあろう。純粋な輸送手段という面だけをとらえて「民生の安定上の必要」性を判断するのでは本質を見誤る危険があるのは確かである。
しかしそうはいっても、激甚災害に対する補助はいきおい巨額になる。やみくもに「鉄道を残す」ということが目的化してはならない。公共交通機関が必要なのは当然である。しかし、個別具体的な地域にとって、どのような交通手段が適切なのかは慎重に検討される必要がある。
かつて国鉄再建が模索されていたとき、「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」により、廃止を前提とした「特定地方交通線」の選定がなされ、同法施行令で輸送密度や代替道路の整備の有無などによってどの路線を特定地方交通線にするかが決められた。選定基準をめぐっていろいろと駆け引きがあり、そのときの基準の妥当性については議論があるところであったが、鉄道軌道整備法でも「民生の安定上必要」という、いかようにも解釈されがちな規定で判断するのではなく、具体的な基準を設けることも必要であろう。
「民生の安定に必要な鉄道を復旧させる」という目的が、「鉄道を復旧させることが民生の安定に必要なのだ」という本末転倒な解釈に陥らない運用をされることを望みたい。
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