サッカーの英雄が大統領になった国の「食卓」 アフリカの小国で生きる少年の壮絶な日常

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7万人以上が住むモンロビアのスラム・ウエストポイント地区

そんな商売の片棒を担いでいたのが、葉っぱ飯を食っていたザックたちだ。新しい仕事を見つけた“草食”男子は、もはやあこがれの存在もブライではなかった。

「いまはジョージ・ウェアさ」

ザックのあこがれの対象は「尻だし将軍」から「大統領」 に変わっていた。

ジョージ・ウェアは元プロサッカー選手。母国の英雄だ。ACミランなど欧州でプレーし、バロンドール(欧州年間最優秀選手賞)を獲得した唯一のアフリカ出身選手。抜群の身体能力から繰り出す驚異的なプレーで「ファントム(怪人)」と称された。引退後の2005年、内戦が終わった母国で大統領選に出馬。後にノーベル平和賞を受けることになるエレン・ジョンソン・サーリーフに破れたが、若者や貧困層を中心に庶民から高い支持を得ていた。

モンロビアの海沿いに広がるウエストポイント地区は、バラック住まいの貧しい人たちが集まるエリア。そして、落選していてもウェア人気は絶大だった。ザックはこの地区にあるキリスト教会に通っていた。日曜日の礼拝後、潮が引いた砂浜で仲間たちとサッカー遊びをするのが楽しみだと笑う。ザックが通う教会の牧師と話す機会があった。

「彼らは、 ブライでも、ウェアでも、だれでもいいからそばにいてほしいのです。でも、生まれてすぐに親すらいなかった。いつもそばにいるのは、神だけなんです」

神だけではない。生きるために、どんな形であっても食がいつも彼らのそばにあった。

豊かな“うま味”満載のポテトリーフ

廃屋のビルの中では、ボールを蹴って遊ぶ子どものかたわらで母親が煮炊きをしていた。職員が退避したままの日本大使館の建物には難民の人たちが住み着き、どこかで調達したコメを分けていた。

種類を問わず、さまざまな魚がまとめて煙に燻されていた

港町ウエストポイントの貧しい信者の多くは漁師だった。彼らの家に行くと、ギニア湾で獲ったカツオなどの魚を燻製にしていた。商品としての保存食材にするためだが、ほぼ“鰹節”への加工と同じ。そして、この魚の燻製を粗く削って芋の葉っぱと煮込むポテトリーフがある。最貧国のスラムの人たちは知ってか知らずか、豊かな“うま味”満載の、日本人こそがうまいと叫ぶ逸品にそのポテトリーフは仕上がっていた。

2014年のエボラ出血熱の流行時、そのウエストポイントはウイルスのまん延を防ぐという理由で一時封鎖された。しかしすぐに、「封鎖されて食料がない」と激しい抗議行動を起こしている。住民は疫病の恐怖と隣り合わせになりながら、食っていた。人々は、きっとあのうまいポテトリーフを食い続けていた。

さてジョージ・ウェア。彼は再挑戦した昨年の大統領選に勝利し、今年1月、プロサッカー選手としては世界初の国家元首に就任した。ノーベル賞の大統領は最優先課題に「教育」を掲げていた。元サッカー選手はかつて、「国民に平和と食べものをもたらす」と選挙演説していたのを思い出した。

木村 聡 写真家、フォトジャーナリスト

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きむら さとる / Satoru Kimura

1965年、東京都生まれ。新聞社勤務後、1994年からフリーランス。国内外のドキュメンタリー取材を中心に活動。ベトナム、西アフリカ、東欧などの海外、および日本各地の漁師や、調味料職人の仕事場といった「食の現場」の取材も多数。写真展、講演、媒体発表など随時。

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