サッカーの英雄が大統領になった国の「食卓」 アフリカの小国で生きる少年の壮絶な日常

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難民バスはさらに一昼夜かかって首都モンロビアに到着した。荒んだ首都を歩くと、すぐに飯を食う若い男たちが目に入った。破壊されたビル跡の空き地。手に持った皿の上を見やれば、また、あの葉っぱの煮込みだった。

「尻だし将軍」とともに食べたもの

リベリアの主食はコメ。草や豆を、たっぷりの「ぺぺ(唐辛子)」と煮込んでいっしょに食う。

「違うな、これはキャッサバリーフ。うまいぞ」

食べる若者の隣で、体じゅう泡だらけの男が言う。屋外のその廃墟は、彼らの食卓であり風呂場であり棲家だった、同じものを食べさせてもらうと、豆と少々のくず肉が混ざっていた。同じ芋の葉でもキャッサバはサツマイモより粘り気がある。

「ニンバにはなん度も行った。俺はブライの部隊にいて、コマンダー(司令官)だったからな。俺はブライみたいになりたかった」

まだ10代のザックはいわゆる元少年兵だ。彼がヒーロー扱いするジョシュア・ブライとは、ジャーナリストたちが「尻だし将軍」と名付けた軍人である。内戦中、全裸で戦闘を指揮し、狂ったように虐殺を繰り返した男。彼が率いた部隊では戦争孤児に訓練を施し、酒とドラックによって恐怖心と正気を失わせ、もっとも過酷な前線に向かわせた。

戦争しか知らない少年たちは、いま食いつなぐだけの日々を生きる

ザックはコートジボアール国境近くの村の出身で、ずっと森の中で戦っていたという。初めて首都に来てからは自由に略奪し、銃を乱射した。酒もドラックも上官から支給された。兵士にならなければなにも与えられず、だれも食わせてくれなかった。

「ブライは不死身だった。子どもの心臓を食ったからだってみんな言ってた。戦争中はなにか食ってもいつも吐いてたけど、ブライと同じものを食えば、彼と同じ力を持てると思った」

ほんの数十円の稼ぎのために卵売り少年は1日を費やす

目の前の少年がどれだけブライに近い存在で、どれほどの「コマンダー」かはわからない。ただ、「尻だし将軍」にあこがれ従うしかなかった孤児はまわりにいっぱいいたのだと、キャッサバリーフを食いながら元少年兵は饒舌に話し続けた。

廃屋の若者たちは援助物資の横流しで日銭を得ていた。内戦中から国内には難民キャンプがあり、そうした周辺には国際機関より援助物資が入り込む。実は食糧を中心に一部は街の市場へも流れていた。だれかがコメや小麦を外へ持ち出して、それらを売って現金に換え、必要な野菜や肉を買う。物が不足する終戦後の国家では、援助物資と人々の胃袋から市場経済が復活していた。

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