子どもの頃は「人の輪に入れない」「同世代の子と仲良くできない」「集中力がない」といったことを通知表に書かれていた小林さん。高校では学校へ行くこと自体に疲れてしまい不登校になったため、定時制高校へ編入し、社会福祉の専門学校へ進んだ。卒業後は福祉関係の仕事には就かず、学生時代から勤務していた書店のアルバイトを継続。しかし、店舗が閉鎖したことや生まれ育った地元に戻りたいという思いから引っ越し、転職もした。
コールセンターや携帯電話販売、旅行会社の事務などさまざまな業種の派遣を経験したが、3カ月以上仕事が続かない。仕事が覚えられないため、派遣の更新がされないのだ。「今になって考えてみると、マルチタスクを要されるこれらの仕事は発達障害の人がいちばん苦手な仕事だった」と小林さんは語る。しだいに彼女は引きこもりになってしまった。
一人暮らしで引きこもっていたというが、食事などはどうしていたのだろうか。この質問には、引きこもり当事者のスタイリングを行うイベントを立ち上げた、ライフスタイリストの乃浬子さんが答えてくれた。
「引きこもる」つらさは人さまざま
「引きこもりには完全に家から出られないステージもあれば、“コンビニくらいはOK”というステージもあります。まなみさんの場合、コンビニには行けるレベルで、食事はコンビニで済ませていたとのこと。コンビニでは会計時に店員さんと接するだけで特にコミュニケーションは要しませんよね。どの段階からが引きこもりという線引きをするのではなく、コミュニケーションが極端に苦手になってしまった人たちを引きこもりと呼ぶのだと思います」(乃浬子さん)
かく言う乃浬子さんも昔は生きづらさを感じ、引きこもりならぬ“外こもり”をした当事者だ。20代の頃は広告スタイリストとして働いていた乃浬子さんだったが、それは生きづらさをマヒさせるために活躍していたのだと語る。そして、日本にいることに限界を感じ、ニューヨークへ“外こも”った。現地で学校へ入り直すと、インテリアデザインを学び、インテリアの会社とジュエリーの会社に勤め、12年間ニューヨークで過ごしたのち、帰国した。
「引きこもりというと、どうしても男性が目立つのですが、それは同性同士の親子の影響が強いとされているから。多くの父親は外に働きに出ていくため、男性は家にこもりやすい。一方女性の場合は、母親との関係が生きづらさを生むため、実際に海外に行かなくても、社会の中で外こもってしまい、バリバリと働き詰めてご自身を疲弊させてしまうケースも多いのではないでしょうか」(乃浬子さん)
引きこもっていた小林さんだったが、なんとか引きこもりから脱しようと発達障害当事者の自助会や引きこもりの当事者会に参加し始めた。さまざまな会に参加しているなかで乃浬子さんと出会い、自分はオシャレが大好きであることを実感した。ちなみに現在乃浬子さんは、引きこもり当事者や、その家族の髪型やファッションをスタイリングして、外見から内面の変化を促す「引きこもりトータルビューティー」というプロジェクトを行っている。
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