池井戸潤が語る「空飛ぶタイヤ」に込めた思い すべての登場人物にはそれぞれ人生がある
いくら状況が厳しくても、貸そうと思えば貸せる企業は多いはずです。難しくても自分が貸したいと思ったなら、きっちりと理屈を積み重ねて説得力のある稟議を書けばいいだけの話です。
そもそも3年後にその会社がどうなっているかなんて誰にも分からない。たとえば、2期連続で赤字になっているような会社だったら難しいかもしれませんが、ちょっと赤字の会社におカネを貸すのはどうってことないですよ。「赤字じゃないか」と言われるかもしれないけれど、それぐらいのことはひっくり返さなきゃダメだと思います。
融資基準はブラックボックスすぎる
――今回の作品でも、銀行内で稟議をあげるシーンが盛り込まれていましたが、ああいうやり取りを描きたいという思いはあったのでしょうか。
特にないです。銀行内でのやり取りは分かりにくいので、出しても読者が混乱するだけだと思います。
ただ、あまりにもブラックボックスすぎる気がするので、融資を決める財務状況の基準ぐらいは教えた方がいいとは思います。皆、自分の会社がいいのか悪いのか分からないんです。融資を頼みに行って断られても、何がダメなのか分からない。もう少し基準を明確にしたらいいと思います。
とはいっても、借りる方にも問題はあるんです。正しい財務諸表を持ってくる企業がいかに少ないことか。「わが社の経営状況はこの財務諸表の通りです」と断言できるのは、数百社のうち数社くらいしかない印象でした。そういうところに貸したくないな、という気持ちはありましたよ。
――正しい財務諸表を作るべきであると。
ずっと赤字を続けている会社が、“正しい財務諸表”を作るのは本当に難しい。粉飾というのは、1回手を染めると脱出するのが難しいんです。黒字なら、正しいものを作れるはずです。だから赤字であれば赤字としてちゃんと財務諸表を作りましょうと。「うちの会社は黒字の時もあれば、赤字の時もあります。でも財務諸表は常に正しいです」というのが会社としてあるべき姿です。実はそういうことが融資の時にすごく評価されるんです。
――『空飛ぶタイヤ』では、外部からミスを指摘された際に、悪いことをやっていると分かったとしても組織人として隠し事に加担するべきか、それとも個人の正義を貫くべきかという葛藤が描かれています。これは池井戸先生が描きたかったテーマなのでしょうか。
隠していることを暴く、ということには興味はあまりないんです。「こんなことをしているのはけしからん」と、建前で言うのは簡単ですが、一点の曇りもない会社なんてない。そこは清濁併せのむじゃないけれども、本当に糾弾することが必要ならばそうすべきですが、重箱の隅をつついて、なんでもかんでも何とかしろ、なんてやっていたら業務が立ち行かなくなってしまいます。
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