体制を保証?トランプの「譲歩」はヤバすぎる 「個人崇拝のカルト国家」の存続を許すのか

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5月31日、ニューヨークで北朝鮮の金英哲(キム・ヨンチョル)朝鮮労働党副委員長(右)と会談するマイク・ポンペオ国務長官。米国は、本気で北朝鮮の現体制の存続を保証するつもりなのだろうか(写真:REUTERS / Mike Segar)

最後に、体制の保障をめぐって、アメリカと、日本をはじめ、アジア各国で垣間見れる根本的な価値観の違いについて指摘したい。

「平和」と「自由」のどちらが重要だろうかと問われれば、あなたはどちらを選択するだろうか。ここで言う「平和」とは、多くの日本人の一般的意見と思われる「戦争のない状態」「争いのない状態」と定義する。本来は両方が両立する社会が何より望ましいが、現実には両者は両立しないことが多い。

例えば、今の北朝鮮や中国は人権弾圧が続き、政府批判など言論の自由もない。北朝鮮では長年の独裁政権の下、隷属と圧迫に強いられて生活している。しかし、「自由」がないものの、「争いがない」秩序だった社会という意味では「平和」だ。

ただ、アメリカ人は、こうした平和は薄っぺらなもので、武力を使ってでも自由を勝ち取るべきだとの考えが歴史的に根強い。彼らにとっては、平和より自由が重きをなしている。

自由と平和は両立しないことがある

筆者が印象的に思ったのは、イラクのサダム・フセイン大統領が1990年8月クウェートに侵攻し、これを占領した時のことだ。クウェート国民は新たな支配者となったフセイン大統領の圧迫と隷属の独裁体制の下、石油と天然ガスの恩恵を受け、衣食住に満足できる「平和」な生活がおくれたかもしれない。ただし、フセイン体制下、言論の自由はない。指導者批判などもってのほかになる。

当時、アメリカを中心とする多国籍軍は、他国を侵略し、他国民の自由さえも奪うイラクを退治するために湾岸戦争を仕掛けた。一方、平和を重視する日本国内では、湾岸戦争に反対する意見が多かった。

自由と平和は両立しないことがある。今の北朝鮮情勢も同じだ。平和という秩序を重視するばかりに、自由はく奪を強いられている庶民がいる。

筆者はもちろん北朝鮮と戦争をせず、平和であることを望んでいる。しかし、その下では、自由なき社会であえいでいる北朝鮮国民がいる。それが本当の意味で平和と言えるか。薄っぺらな偽の平和ではないか。アメリカによる北の体制保証を考えるとき、こうした自由と平和の問題を考えざるを得ない。

高橋 浩祐 米外交・安全保障専門オンライン誌「ディプロマット」東京特派員

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たかはし こうすけ / Kosuke Takahashi

米外交・安全保障専門オンライン誌『ディプロマット』東京特派員。英国の軍事専門誌『ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー』前特派員。1993年3月慶応義塾大学経済学部卒、2003年12月米国コロンビア大学大学院でジャーナリズム、国際関係公共政策の修士号取得。ハフィントンポスト日本版編集長や日経CNBCコメンテーターなどを歴任。朝日新聞社、ブルームバーグ・ニューズ、 ウォール・ストリート・ジャーナル日本版、ロイター通信で記者や編集者を務めた経験を持つ。

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