日本で「シャンパン」出荷量が激増した必然 2人のフランス人がブームに火をつけた

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ギユパンはただ酒だけを提供するのではなく、シャンパンを飲むという体験を提供しようと非常に気をつけていた。状況、雰囲気は完璧でなくてはならない。「私は幸福のセールスマンです。シャンパンを飲む時にはすべてが完璧でなくてはなりません」と彼は言う。

こうしてドン・ペリニヨンは誕生日、契約書へのサイン、大学の卒業式など特別な日に欠かせないお供となった。ホステスは「ピンドンコン」という凄まじいカクテルを考案した。これはコニャックとロゼ・シャンパンとのおぞましい混合物で、バケツで提供されてストローを使って集団で飲まれていた。

夜の次は「昼間」を変えた

シャンパンの勝利を成し遂げたフランスの戦士たちは今もバーの名を記憶している。ザ・グレイ、ザ・マイコ、サード・フロア、サン・トノーレ、ル・マン、そして最も重要なのはホテルオークラのオーキッドバーだ。ホテルオークラが取り壊された際には、バーカウンターも解体される危機にあった。だが、その神秘的なオブジェは新生銀行の元社長ティエリー・ポルテに買い取られ、現在はどこかに保管されている。

「フランスのシャンパン農家はとても喜んで銀座の最高のバーにセールスマンを送ってきて、いわゆる『シャンパン・ツアー』というものを申し出てくれました。彼らは私たちのバーの単位面積あたりでのシャンパンの売り上げが最高だと計算して、ビジネスクラスでシャンパン地方へ1週間招待し、シャンパンを飲ませてくれました」と前述の元ホステスは回想する。

ドン・ペリニヨンはほかのブランドへの道も開いた。モエ・エ・シャンドン、ルイナール、ヴーヴ・クリコ、ブルーノ・パイヤール……。

夜を変えた次に、モエ・エ・シャンドンは日中の生活に目を移した。セールスマンたちは、たとえば世界最高のソムリエの大会を支援するなどしてソムリエやシェフの教育をした。彼らはシャンパンと日本料理をマリアージュさせるレシピを考案し、百貨店に対して売り場提案も行った。シャンパンを食品や酒の近くに置くのではなく、バカラのような高級ブランドの近くに置くように提案したのだ。

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