日本で「シャンパン」出荷量が激増した必然

2人のフランス人がブームに火をつけた

このような世界では、シャンパンは合わないように見えた。

しかしシャンパーニュ地方生まれの2人の男がこの状況に異を唱える準備をしていた。1人目は先ほど触れたイヴ・ベナール。2人目はジャムス・ギユパンだ。彼は1980年代半ばにモエ・エ・シャンドンの国際販売部長になった。「私たちはゼロから始めました」と彼は振り返る。

ギユパンは日本文化を非常に高く評価していた。彼は日本の経済成長と、フランスにおける日本製品の増加に驚いていた。彼は個人的な観察に基づいて、日本人はシャンパンを理解するだけの教養がある人々だと確信した。そこで、モエ・エ・シャンドンでの仕事を始めた時、最初の市場として日本を選んだ。

そしてドンペリが銀座にやってきた

彼は日本という「山」の一番上から下までにアタックをかけなければならないと理解していた。それ以外に方法はない。そして……銀座に目を向けた。ギユパンが狙ったのは、コニャックの常連だった。「私は何年も毎月26時間かけて米アンカレッジ経由で、パリから東京へ飛びました」。ギユパンは1人ではなかった。彼はドン・ペリニヨンという非常に特別な乗客とともに旅をしていたのだ。

世界で最も有名なシャンパンブランドの1つであるドン・ペリニヨンには面白い話がある。その名の由来となった修道士が1670年頃に現在の形のシャンパンを「考案」したというのだ。ギユパンと彼が率いるモエ・エ・シャンドンのチームによって物語られた、かの修道院長の逸話は、またたくまにバーの店員によって「ドンペ」あるいは「ドンペリ」と新たな名を与えられて、東京の夜の語り草となった。

そしてバーからバーへ広まり、シャンパンは定番の酒となった。なぜか? 東京の女性たちは健康および経済的理由からコニャックよりシャンパンを好んだのだ。シャンパンはコニャックよりもずっと度数の低い酒であり、翌朝の頭痛を起こさない。さらに、シャンパンの消費はコニャックよりも早かった。シャンパンのボトルは一度開栓されると、その晩のうちに飲んでしまわねばならない。「コニャックのボトルは、2時間持ちますが、ドン・ペリニヨンのボトルは10分しか持ちません」と、ある業界通は話す。

販売拡大策はほかにもあった。容器の変更だ。彼が日本に訪れた時には、シャンパンはボトルでのみ提供されていた。シャンパングラスでではなく。「ある日ニューヨークのプラザホテルで、私は2人の客がワインをグラスで飲んでいるのを見ました。私はバーテンダーにシャンパンもグラスで販売してみるよう頼みました。彼の店の売り上げはこれによって6倍にもなりました。この経験を、米国以外の場所でも繰り返しました」とギユパンは話す。

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