会社員として働きながら、養護施設の支援活動を行い、さらに各地での講演や取材など、多忙な日々を送る河村さん。しかし、ある人物と出会わなければ、今の自分もタイガーマスク運動もなかったでしょうと告白する。その方とは、現在勤める会社の役員のN氏である。「Nさんと出会ったから今の僕があるんです。一生恩は忘れません」と、恩師とのエピソードを話してくれた。
恩師との出会い
福岡県出身の河村さんは、地元の高校を卒業した後、神奈川県に移り住む。車の整備工として、住み込みで働き始めたのだ。決して希望したわけでなく、身寄りがない自分にとって、数少ない選択肢の1つだった。4年間働き、22歳のときに転職活動をするが、うまくいかなかった。
「東京で働きたい思いがあって、転職活動をしたんです。けれど当時、履歴書に家族構成を記入する欄があって。僕は書く人がいないから、空欄のままにしていたんです。すると面接官が、ここも書いてくださいと。家族はいませんと僕が答えると、表情が変わって。その時点で不採用だっていうことがわかるんですね」
何社面接を受けても通過しなかった。あきらめ半分で応募したのが、河村さんが現在所属する会社だった。そのときに面接をしてくれたのがNさんで、同氏の「面白そうな青年じゃないか、君ならうちで勤まるんじゃないか」という一言で、無事に面接を通過した。
しかし入社の条件は、関東在住の保証人を2人つけること。当てがない河村さんは、かつて働いていた自動車整備会社の社長夫婦にお願いしに行ったところ、罵声を浴びせられた。
「ふざけんな、って言われました。うちを辞めて出ていったくせに、そんな頼みはおかしいだろと。それでも恥を忍んでお願いしたら、しぶしぶ引き受けてくれたんです。おかげで入社することができ、まず研修として3カ月働いて、勤務態度に問題がなければ、正規雇用してもらえるということになりました」
だが1カ月後、その社長から会社宛てに、「保証人をキャンセルしたい」という電話が入る。河村さんは絶望で目の前が真っ白になったという。ほかに保証人になってもらえる人などいない。入社をあきらめて、このまま身を引こう。そう決意し、N氏にあいさつに行ったところ、思わぬ言葉をかけられた。
「私は君の家族構成や背景を見て採用したんじゃない。君という人間を見て、うちで勤まりそうだから採用したんだ。ルールを守ることは大事だけど、何かあったときに変えるのも大事。関東で2人の保証人が無理なら、福岡で1人でもいいからなってくれる人はいないかい?」
それだったらいます、という河村さんに、N氏は「じゃあそうしよう」と笑顔で言った。泣きましたね、と河村さんは当時を振り返る。
「僕はこれまで、身寄りがないという理由で、散々虐げられてきました。そんな僕に、君を見て採用したんだ、と言ってくれた方は初めてでした。後から聞いたら、Nさんも母子家庭で、中学生の頃からアルバイトをして家計を支えていたそうです。きっと虐げられたこともあったはず。そんな環境の方だから、僕のことも差別しなかったんでしょうね」
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