「雌伏10年」AIのトップランナーになった男

世界で認められたエンジニア、矢野和男氏

気持ちのスイッチを切り替えるのは難しい。「半導体を20年もやっていると、頭がハードウエアになっていますからね」と矢野。考え方の枠組みや発想は、無意識のうちに“半導体思考”になっている。新しい分野を切り拓くためには、こうした枠組みをいったん取り払う必要があった。

矢野和男/株式会社日立製作所 理事 研究開発グループ 技師長。1984年、早稲田大学物理修士卒。日立製作所入社。93年、単一電子メモリの室温動作に世界で初めて成功。2004年から先行してウエアラブル技術とビッグデータ収集・活用で世界をけん引。論文被引用数は2500件。特許出願350件。のべ100万日を超えるデータを使った企業業績向上の研究と心理学や人工知能、ナノテクまでの専門性の広さと深さで知られる。博士(工学)。IEEE Fellow。電子情報通信学会、応用物理学会、日本物理学会、人工知能学会会員。日立返仁会監事。東京工業大学大学院情報理工学院特定教授。文科省情報科学技術委員。著書に『データの見えざる手』(草思社)がある(写真:エンジニアtype)

そのために役立ったのが、多様な専門分野を持つ人たちとの対話、議論である。冒頭の言葉のように、こうした経験がAIやビッグデータへの道につながった。

日立が取り組むべき新しい事業は何か。どこにイノベーションの可能性があるのか。矢野を中心に集まった社内のコアメンバーは約20人。ある程度の方向性が見えるまで、チーム内での議論は穏やかなものではなかった。むしろ、侃々諤々と形容できるようなものだったようだ。

「メンバーのバックグラウンドは多種多様。半導体出身もいれば、無線やデータ解析の専門家もいます。AIやビッグデータの議論をすると、それぞれが自分の知っていることをベースに、それ以外については想像で話をするわけです。使っている言語も違えば、見ている方向も違う。最初は会話すら成り立たないほどでしたし、険悪な雰囲気になったこともあります」

一方、チームを取り巻く社内環境もまだら模様だった。研究開発を続けさせた上層部は、全体としてサポーティブだったといえるだろう。ただ、社内から厳しい視線を投げ掛けられることもあった。

「常に何らかの研究成果を出してはいたので、自分たちとしては着実に前進している感覚を持っていました。ただ、『それで、どんなビジネスにつながるの?』と聞かれると、納得させられるような返答は難しい。そういう状態が、10年くらいは続きました」と矢野は振り返る。

「AIをやろう」と言いだして周囲と軋轢

風向きが変わったのは2013年、14年頃だったと矢野は言う。矢野らのチームの成果が周囲の認識を変えさせた面もある。同時期に、海外で注目される動きもあった。例えば、2012年に行われた画像認識のコンテストでは、ディープラーニングの手法を用いたトロント大学チームが圧倒的な強さで優勝。グローバルな規模で、AIの大きなうねりが起きようとしていた。

ただし、当時もAIという言葉はあまり使われなかった。過去のAIブームの苦い記憶から、ネガティブな響きがあったからだ。1980年代から90年代初頭にかけて推進された「第5世代コンピュータ」プロジェクトには、500億円を超える国の予算が投じられ、関係各社からも少なからぬ研究者・技術者が参加した。

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