「雌伏10年」AIのトップランナーになった男

世界で認められたエンジニア、矢野和男氏

このプロジェクトでAIは重要な柱だったが、結局のところ、ビジネスにつながるような成果を生みだせなかった。以来、AIという言葉に染み付いたマイナスイメージは根強く残っていたが、矢野は「AIをやろう」と周囲に働き掛けた。2011年から12年にかけてのことである。

「当時は、AIというだけで周囲と軋轢を生むこともありました。しかし、そろそろ人工知能、AIと呼べるようなものが現実化しつつある。私としてはそんな確信のようなものがありました。おそらく、しばらくの間は研究者としての信用を落としたのではないかとも思います」

(写真:エンジニアtype)

その後の展開は、言うまでもない。研究仲間からは、「あの時、矢野さんが言っていたことは正しかったね」と声を掛けかけられるようになった。今では、新聞のような大手メディアでも連日のようにAIが話題に上る。AIがまとっていたイメージは大きく変わった。

結果として、矢野は時代を先取りしたことになる。ただ、本人は「タイミングの問題も大きい」と言う。半導体やセンサー、ソフトウエア技術など、さまざまな要素がそろっていなければ、プラス何年かの苦節を強いられていたかもしれない。その間に、研究開発に幕引きをする意思決定が下された可能性もある。

とはいえ、準備をしていなければチャンスをつかむこともできなかった。「精一杯努力して、かつタイミングが来なければ、大きな成果に結び付けることはできなかったでしょう」と矢野は言う。程度の違いはあっても、未知の分野とはそういうものだ。フロンティアは挑戦者に残酷な仕打ちをすることもある。

幅広い事業の価値をレバレッジする何か

10年にわたる雌伏の期間には、海外有名大学などからの誘いもあったが、矢野は日立に残ることを選んだ。同社の持つリソースやポテンシャルに、大きな魅力を感じているからだ。日立の売上はおよそ10兆円で、情報・通信システムや社会・産業システムなど、10ほどの事業ドメインに分かれている。

全ての事業ドメインに寄与する何かをつくりだせば、そのインパクトは大きい。10兆円の事業に対して、仮に1%のレバレッジを実現すれば1000億円、10%なら1兆円分の価値創造につながる。

「せっかく10兆円のビジネスがあるんだから、これを11兆、12兆円に伸ばすことを考える方が世の中のためになるのではないか。私はそう思っています。もしゼロからスタートアップをつくるとしたら、同じようなレベルの仕事はできないでしょう。スタートアップによる10億円の事業創出は貴重なことですし、10を11、12に伸ばすよりも難しいことかもしれません。ただ、自分にとっては、今のやり方が性に合っているように感じます」

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